塩村議員に贈る歌

  





セクハラヤジ問題紛糾してますね。


議会というのを見学したことないのですが、ヤジというのは多いものなのでしょうか。


ところでこの問題についてはいろいろ意見があるかと思います。



「ヤジそのものがよくない」と言う人もいれば



「やじくらいいいんじゃない。居眠りしてるほうがよほどどうかと思う。」


「ヤジがあるくらいの活発な議論のほうがのぞましい」



なるほど…



「ユーモアのあるヤジはいいがセクハラヤジはNGである。」



「男性へのヤジはいいのか?女性が男性にヤジをとばすのはどうなのか?」


などなど…いろんな見方があるのではないかと思います。


そもそも、ヤジの文言が「自分が結婚したほうがいい」ではなく「みんなが結婚したほうがいい」とも言われている。


これだけ大騒ぎなのに肝心のヤジの内容が不明瞭ってどうなのか。




私は女性にかかわる問題についての独特の空気みたいなものが気になります。


マスコミはオボカタ女子を最初は持ち上げまくっていましたが、後で思いっ切り掌かえした扱いでした。



同じことでも



若い女性」がからむとと全然扱いが違う。とにかく大騒ぎ、大問題、お祭り状態…






というのは違和感を覚えますね。






私が気になるのはヤジを受けた塩村さんが明らかに泣いていたこと。



つまらんヤジをとばすほうもどうかしてますが、



ヤジひとつとばされてメソメソする人に政治は任せたくない。



こんなこと言うと大抵嫌われますが(笑)



政治は外交につながっていて、外交の延長には「戦争=殺し合い」がある。



政治とは本質において過酷なものである。



過酷さに耐えるタフネスの無い人は政治はやめたほうがいい。



都議会だから外交や戦争は関係ないという話ではなくて



例えば立派な政策をかかげても反対派やコワオモテの人物に恫喝されたら…泣くのか?



自分が正しいと思うならどんな反対があっても毅然として政策を通してほしい。
それは政治家とし絶対に必要な資質だと思う。



心無いヤジを受けてきっちり抗議するのも、サラリと受け流すのも、ユーモアで返すのもいいが泣くのはどうかと思う。泣いてほしいくはない。



十訓抄 (岩波文庫 黄 120-1)

十訓抄 (岩波文庫 黄 120-1)



全然話が飛ぶようですが「十訓抄」の有名なエピソードを思い出しました、



和泉式部は有名な歌人でその娘の小式部内侍も歌才にすぐれていたが、母である和泉式部に代作してもらっていうのではないか?というやっかみを言うものがあった。



小式部内侍はある歌詠みの会の前に定頼中納言から「母さんが丹後に引っ越して心もとないでしょ。お母さんに代作の歌を詠んでもらうために遣わした使者は帰ってきた?」と意地悪なことをに言われる。



そこで小式部内侍はどうしたか。



小式部内侍は素晴らしい歌を読んで定頼中納言を絶句させるのである。



余りに巣晴らしい歌だったので定頼中納言は返歌も返さずに逃げていったといわれる。そのとき読まれたのが。



大江山いくのの道の遠ければまだふみもみず天の橋立



カッコイイじゃありませんか。


塩村議員、これからもたくましく頑張ってください。





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