避難勧告 インドの光  お盆

 




お盆の台風一過である。



昨日は舞鶴市全域に避難勧告が行われたが、私には初めての経験だった。



ただ勧告が報知されて1時間後には風雨も弱まり、晴間さえ見えた。





人間とは所詮は自然のたなごころのなかにある存在なのかもしれない。




もっとも…



市内全世帯に避難勧告といわれても全市民を収容できる施設などないではないか(笑)



娘の両脚に湿疹ができた。



最近はいろいろややこしい病気があるので念のため小児科へ連れていった。



診断の結果は“虫さされ”。




医師いわく…



「山に連れていきましたか?」


…普通に暮らしているだけです。山寺に…








インドの光 聖ラーマクリシュナの生涯 (中公文庫)

インドの光 聖ラーマクリシュナの生涯 (中公文庫)




数日前に読んだ「インドの光」の余韻に浸っている。



いろんな意味で刺激に溢れた書物だった。



ひとつはインドの持っている宗教的風景を垣間見ることができたことであろうか。



クンダリニー

クンダリニー



しばらく前に「クンダリニー」という本を密林の古書で買った。



内容は思ったようなものでなかったので途中で挫折したのだが、著者の父が若くして出家するエピソードの部分が印象に残っている。



インドという国では人もうらやむような社会的地位や財産がありながら、宗教的理由からそれらを手放して隠遁し、宗教的生活に入ることが決して稀ではないということが改めて新鮮に感じられた。





まさにお釈迦様がそうされたように。




日本では出家とは職業としての僧侶になることを意味することが多い。



しかも出家することは親の職業を世襲することを意味する場合が多いが、インドの場合はニュアンスが違う。




信仰そのものに強い個人的、内面的動機があるのである。



さらにインドでは寺院に行って礼拝するからといって信仰が篤いということにはならないというのも面白い。



自らの信仰と寺院との関わりはあくまで別なのである。職業としての僧侶は否定されることすらあるというのである。



日本の仏教では修行僧の時代を経て一山の住職になるというのが普通なので多分に事情が異なる。



インドでは宗教に帰依した人々はそれぞれの立場で修行に励み、時に修行の為に日常生活そのものを放擲する。






お盆の時期を迎えて、家族でお墓に参り、棚経を受けることが行われている。



強い宗教的動機というよりも、家族や地域で脈々と受け継がれてきたものを、しっかりと伝えている姿である。



それはおだやかでありながら、安心をもたらす光景である。



社会の変化の中でそれらもまた継承が難しくなりつつあるが、お盆の棚経に家々を回りながら、この光景がいつまでも続くことを念じずにはいられない。



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