無常の風雨 インドの霊峰 肩こり解消のコツ
連日の酷熱が嘘のような風と雨である。
明日の午前中は風雨が強いそうだが棚経が無事終るか少々心配である。
熱暑変じて風雨となる様は有為転変の相といえなくもない。
法事やお通夜では「いろは歌」を歌うことが多い。
この歌にある無常の感性は理趣経など真言宗で常用する経典の読経だけでは伝えられないものがあると思うからだ。
諸行無常というのは仏教の根本の教えのひとつである。
しかし私達はこの教えに反する感情に…有情とでもいうべき感情の中で生きている。
肉親を失って悲しんでいる方に「無常」を説く事は難しい。否、不可能であろう。
有情としての悲しみを無常という教えにどうつなげていくかということは大変に大きな課題であると思う。
仏教の教えを説くということは、その根本思想のひとつである諸行無常を説くことに他ならないからである。
葬儀に参列される大勢の親族や知友の方を見て思うことがある。
無常でありはかない人生でありながらひとつの人生がなんと多くの人生と関わって生きてこられたかということである。
もうひとつつは、亡くなった方の縁に連なる人々が子を生み、孫を、ひ孫へと代々の継承を為していることである。
一個の生命としては有限であって、無常を逃れられないが、その命は他の命へと継がれてゆく。その姿は有限でありながら無限性を思わせる。
知人からラーマクリシュナといインドの聖人について教えて頂いた。、
Youtubeにその言行録「不滅の言葉」の朗読があり、聴いていてと感じるものがあったので。関連書を密林の古書で購入。
「インドの光」(中公文庫)
「抜粋 ラーマクリシュナの福音」(日本ヴェーダーンタ協会)
- 作者: 田中嫺玉
- 出版社/メーカー: 中央公論社
- 発売日: 1991/08
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- 作者: マヘンドラナート・グプタ
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インドにおいて釈尊と並んで崇敬されているのは
ゴータマ仏陀(釈尊)
シャンカラ大師(ヴェーダーンタ哲学の大成者)
ラーマクりシュナ大覚者(1836〜86)
の3人である。
この3人の聖人はインドの無尽に近い精神史、宗教史のなかで輩出した無数の宗教家、聖人、哲学者のなかでひときわそびえる巨峰である。
仏教はインドからは衰退消滅したという印象があるが、ヒンドゥー教徒は釈迦の仏遺を敬虔に礼拝する。なぜなら釈尊はヒンドゥー教の最高神の1人ヴィシュヌの化身とされるからである。
少しうがった見方をすれば釈尊への信仰はヒンドゥー教と混交し、吸収されてしまったのかもしれない。
ラーマクリシュナは宗教という垣根を越えた人物だったようである。
ヒンドゥー教徒だけでなく、イスラム教徒もキリスト教徒も他の宗派の信仰者も、彼と対話すると、彼こそが自分達の宗教の聖人に違いないと確信したという。
ひとつの貯水池に、いくつもの水汲場がある。ヒンズー教徒はこちらの水汲場で水をくんでジョルと言い、イスラム教徒はあちらの水汲み場から水を汲んでパーニーと呼び、キリスト教徒はまた別な水汲み場からくんでウォーターとよんでいる。また違う水汲み場からくんでアキュアと呼んでいる人たちもいる。
名前はちがっても内容(なかみ)は全くおなじもの。
ひとつの神にいろいろな名前がついている
『不滅の言葉』
- 作者: 甲野善紀,松村卓
- 出版社/メーカー: ディスカヴァー・トゥエンティワン
- 発売日: 2014/05/22
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要領のことを「コツ」というが、「コツ」の語源は「骨」であるという説がある。
熟達した動きは筋肉ではなく、骨格によって為されるという主張があって大変に興味深い。
古武術家の甲野善紀氏もその1人であるが、新刊の対談集「「筋肉」よりも「骨」を使え! 」で対談されている松村卓氏について調べていたらYoutubeに動画があった。
早速ためしてみたら確かに身体に変化が感じられた。気になる方は一度お試しくださいませ。
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