縄文はクリの時代 法華経のデクノボー 密教はデクノボー 


縄文時代というと狩猟と採集による一番遅れた時代というイメージが依然として強い。



ヤリを持ってイノシシを追いかけ、ヒマがあったら火炎土器を作るみたいな感じか…



縄文時代というのはとても面白い時代だと思うだが普通の人はそうは思わないのだろうか(笑)



何しろ縄文時代は1万3千年も続いているのである。



1万年ずっとイノシシを追いかけていたのであろうか?



多分、地域ごとに多様な文化が生み出されていたし、何より縄文時代の人々は自然と調和し共存するという感性と智慧をを持っていたのではないかと思うのである。



縄文農耕の世界―DNA分析で何がわかったか (PHP新書)

縄文農耕の世界―DNA分析で何がわかったか (PHP新書)



密林の古書が安かったので佐藤洋一郎「縄文農耕の世界 DNA分析で何が分かったか」(岩波新書)を購入。




著者の専門は植物遺伝学である。



本書はDNA分析を駆使して縄文時代の農耕文化の可能性をさぐる試みで、80ページほどが縄文時代におけるクリの栽培の可能性について論じている。筆者によれば縄文時代はクリの時代といっていいほどクリが多用されたという。



木の実のなかでもクリは灰汁抜きをせずに食べられるという特性を持っている。


またクリの木は大変に堅牢な用材となる。


縄文時代はクリを建築材料や燃料として多用したが、恐らくクリを栽培化していたことと関係あるのかもしれない。



縄文の世界はとてつもなく深いものがあると思う。


その深さや広がりに一点明りが灯ったような印象の本である。



法華経入門 (岩波新書)

法華経入門 (岩波新書)



菅野博史「法華経入門」(岩波新書



「縄文農耕の世界」は構成や論の運びにややムラがあって残念なのだが、
この菅野博史「法華経入門」はその点で実に明快である。



第一部では「法華経」が初期の大乗経典であるという観点から釈尊の時代から大乗仏教の成立までを概観し、法華経の構成、テキスト、日本での受容など主な問題にふれ、第二部ではいよいよ法華経の中心思想について概観されている。



実に整然とした構成でまさに入門書のお手本のような書き方である。


本書の帯には以下のように書いてあって、本書のキモの部分である。




法華経』の思想を一言で表せと求められたならば…私はある不思議な人物を思い出さざるをえない。彼は、自分の出会う人すべてに「私は深くあなたたちを尊敬する…」と語りかける。常不軽菩薩という名の菩薩である。この、あらゆる人々を未来の仏として尊厳するという、きわめてシンプルではあるけれども人としての振る舞いの原点を指し示した思想と実践が『法華経』の真実の核心であると思う。 (「はしがき」より)




宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の詩にでてくる「デクノボー」のモデルはこの常不軽菩薩であるともいわれる。宮沢賢治自身がこの人物のように生きたいと痛切に祈ったという。



雨ニモマケズ (ポプラポケット文庫 (351-5))

雨ニモマケズ (ポプラポケット文庫 (351-5))




話が前後して恐縮だが…



第一部の大乗仏教の概観の部分には、大乗仏教密教となり、呪術化して、やがてヒンドゥー教に埋没しインドにおける仏教が滅亡すると書かれている。



密教=<仏教の呪術化>と仏教のインドでの滅亡を関連付けて記述するのは一種の定説となっている。




密教大乗仏教の衰退のプロセスと捉えるのが正しいのだろうか。




一方、密教自体の歴史としては初期密教としての雑密の時代からやがて理論や体系が整備されて純密の時代へと進化していったというのも定説なのである。



面白いですね…


上昇や下降という史観で捉えると、密教大乗仏教の衰退のプロセスだが、その内部では進化していることになるという…



やっぱり…




どこか間違っているにちがいない…と密教を学ぶ者としては異を唱えたい思いである。





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