春雪の候 節分風邪 謎の出雲



【雪の鹿原公園】



【雪の重みで倒れ臥す竹林】



【宝物殿の前は湧き水で融雪中】



「セッケイをとりたいのですが?」


という大阪の方から電話で問い合わせがあった。



「セッケイ?」

しばらくお話して「セッケイ」が「雪景」だと判明。



昨日などはセッケイにぴったりだったに違いない。



この時期の雪は「春雪」と呼べばいいのだろうか…と思って調べたら、やはり昔から「春雪」という言葉はあるようである。味わい深い言葉だと思う。





昨夕、コンビニに買い物にでかけた帰りに山寺の手前の住宅の間からキツネらしい動物が飛び出してきた。時間もまだ早いし、住宅のすぐ脇なので少しびっくりした。




この時期は食べ物が少なくなるので昼間でも動物が出没する。



人家の周りには食べ物があることが多いので他の季節より野生動物をみかけることが多い。




妻が庫裏の玄関から出るといつもカラスが飛んでくるのだという。



カラスはとても頭が良く、人間の個体差を識別して、石を投げた相手をどこまでも追いかけてくることがあるという。



裏山にカラスの巣があるのだが妻が時々裏山に生ゴミを棄てているので、このカラスは妻のことを


“餌をくれる親切な人”



だと思っているのかもしれない…









11日は宮津真言宗の節分法要に出仕。





御住職とゆっくりお話をしたかったのだ珍しく体調が悪くて早々に退出。





親子共々風邪をひき、老僧夫婦も相次いでダウン。




節分というのは大きな行事で年末、お正月と続く忙しい時期のシメが節分の法要である。





住職だけでなく家族も準備や接待に追われるのでこの時期は住職も寺族も体調がガタガタのことが多い。





ちなみに宮津の御住職もだいぶお疲れのご様子だった。





駆け出しとはいえ住職というのは簡単に休んだり、代わりをお願いできない仕事なので常に体調を整えておかなくてはならないというプレッシャーがある。










気分転換は密林やブックオフオンラインで古書を買うこと。




届いた本をみてニンマリしていたら娘が



「お父さん、本以外に好きなものあるの?」



と聞かれた…



第二次大戦傑作機100―田中ショウリ航空ジオラマ写真集

第二次大戦傑作機100―田中ショウリ航空ジオラマ写真集


田中ショウリ「第二次大戦傑作器100」


海軍機50機、陸軍器22機 米英独29機が精巧な模型で再現され、大空をバックにした臨場感溢れるジオラマ写真集となっている。各機のイラストと主要スペックも併記されている。体裁はソフトカバーの簡易なものだが、内容は充実している。田中氏の航空ジオラマ写真はCNNでも紹介され世界中にファンがいるという。





インド錬金術

インド錬金術


佐藤任・小森田精子「インド錬金術

インドの錬金術に関する論文の翻訳と、インド錬金術に関する小論が収められている。


錬金術は古代の鉱物学、冶金学などにつながる。



金属を精製する技術は大きな経済力を生み出しただけでなく、宗教とも大いにつながりがあったとされる。権力者が求めたのは経済力と不老不死である。また宗教的には特別な境地に至るためにも水銀などの力が必要とされた。




金属の持つ希少性や不変性から金属を服用すると自身の身体も不老不死になるという考えがあったようである。特に水銀は仙薬として重宝された、結果的にはその毒性で服用者の寿命を削ったのは皮肉である。




密教でよく使われる<金剛>という言葉も一般には菩提心をさすと説明されることが多いが貴金属としての<金>を指した可能性が大きいと考えている。その金の精製に不可欠だったのも水銀であったという。



古代出雲 巨塔の謎 (中公文庫)

古代出雲 巨塔の謎 (中公文庫)


祖田浩一「古代出雲巨塔の謎」


著者は島根出身。出雲の超高層の本殿をめぐる問題、神仏分離の経緯、出雲の盛衰などが詳しい。記述も小説風で読みやすい。内容は近世の出雲に関するものが多い。特に鰐淵寺などの寺院との習合の様子が詳しく書かれている。



小泉八雲は外国人として本殿への参拝を許された最初であったという。



本書にもその一部が引用されていて興味が尽きない。参拝が引きもきらず、拍手の音が連続して聞こえてまるで滝の音のようだったという。



出雲の本殿は十六丈(48メートル)あったとされる。上古にはその倍、三十二丈!の高さがあったというがにわかに信じがたい。十六丈でも山寺にある三重塔の2倍の高さである。



やわらぐる 光や空に満ちぬらん 
       雲に分け入るちぎの片そぎ




平安末期に寂連法師が本殿に参拝して詠んだ歌に本殿の千木(屋根の両端で交差している用材)が雲に分け入ると歌っている。



本殿はそれほど高かったのだろうか…





首都東京にスカイツリーがあるように、出雲には当時最先端の技術が存在したということは古代の出雲が政治的にも大きな力を持っていたと考えるのが至当ではないだろうか。



出雲市にある荒神谷谷遺跡では銅剣358本などの莫大な銅製品が出土したことで有名である。それ以前に発掘された銅剣の総数が300余りだったことを考えるその尋常でない規模が分かる。




やはり出雲には特別な文化があったに違いないが、その出雲文化圏は広く北陸にまでおよぶものだったというから驚きである。




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