暴走せる夏 「きもの草子」




暴走せる夏…






舞鶴の最高気温は28.1度とのこと。





夕方、市内のお寺に届けものにいったら門前の大きなキリシマツツジが満開だったので少し見惚れてしまった。





オオデマリやサツキが今日一日で随分と開花し始めている。






庫裏を一歩出ると夏の気配や草木の一斉に伸びる空気を感じて、圧倒される気がするのである。







「圧倒的じゃないか!」(ギレン語録)












【この方も時々暴走します!】







午前中は幼稚園のPTA総会。






私は司会と開会の挨拶を担当。





かなりカミカミだったが大きな問題もなく無事終了。子供が最年長のクラスになったのでひとつひとつの行事が園で体験する最期の行事になっていく。感無量也…








きもの草子 (ちくま文庫)

きもの草子 (ちくま文庫)




田中優子「きもの草子」(ちくま文庫





2004年に淡交社の「なごみ」という雑誌に連載された記事を編集したものである。





小林庸浩(こばやしつねひろ)氏の写真が大変に素晴らしく、どの写真を見てもハッとするような冴えを感じる。






撮影された現場の空気、布の風合、着物が古びて生まれる落ち着いた味わい、生地の持つ鮮やかな感じ…



どれも素晴らしい。





浮世絵を見ると、顔の造作よりも全体の印象を決めるのは着物であるように感じる。




画面に占める衣装の印象はとても大きいものがあるので、江戸時代の衣装への関心からこの本を買ったのだが、少し予想と違ったことがある。





この本は着物についてだけ書かれた本ではなく、着物、布、アジア、著者の個人的記憶という4つの軸で構成されているのである。これらが実に巧みに織りなされている。





日本ではなくアジアというのが分かりにくいかもしれないが、著者の布や文様をめぐる知識は日本だけでなく中国、インド、東南アジアなど幅広い。





著者にとって着物と布の文化は広くアジアを視野におさめているのである。





私は着物をとっかえひっかえ買っては捨てる商品としてではなく、いつの間にか一緒に暮らす生き物のごとく思うようになった。であるから私がこの『きもの草子』という本に込めた思いは、「いい着物をたくさん買って贅沢しましょう」でもなければ、「私はこんないい着物を持っています。素敵でしょう」でもない。むしろ着物を「布」という基本にもどして、その生命を味わってみませんか、という想いである。





この文章を読んでいるといろんなことに気がつく。





着物文化を継承するということは「とっかえひっかえモノを買っては捨てる」という文明に対するアンチテーゼになりうるということである。





或いは良い品(着物)とは本来良いマテリアル(布)によって産み出されるという実に当たり前のことである。そして私達は良いマテリアルから遠ざかりつつあるのではないだろうか。





私達はプラスチックやビニールやスチールでできた製品にかこまれているが、それらは安価で便利な無数の製品を提供してくれるが、良きマテリアルという文化が後退しているということに気がつかざるを得ないのである。





この本は実に面白い…読んでいると次々にいろいろなイメージや連想がわいてくるのである。




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