くしゃみ 癒しの火「京都の歴史を足元からさぐる」


寒さが身にしみるようになり、風邪をひきやすい時期になった。




本日は午前中に法事2件。朝から風邪気味でくしゃみを我慢しながら読経していたのだが我慢できなくなり不自然なくしゃみをしたら腹圧が腰に抜けて、仙骨の辺りが激しく痛んだ。




一瞬、痛みで立ち上がれなくなるかと思ったほどだったがなんとか法事を終えて山寺に帰ってくることができた。





こんなことは初めてだがくしゃみでぎっくり腰というのはよく聞く話なのでこれからは用心しないといけないと感じた。








夏前に裏山で伐採した木が良い具合に枯れてきたので薪にしている。





伐採した木を積み上げておいたところには枝から落ちた枯葉が積もっている。





枯葉にはたくさんの菌が付着しているらしいが、積もった枯葉には独特の香りがあって好ましい。
この香りをかぐと心が落ち着くような気がするが、身体に良い成分が含まれているのかもしれない。





風呂を焚く時は焚口に枯れた杉葉やごく細い枯れ枝を入れて火を点けるところから始める。




火がだんだんと燃え広がるにつれてやや太い枝を入れる。




火力が大きくなったらさらに太い薪を入れてゆっくりと燃焼させ火力を安定させる。家族全員が風呂に入るまでに火が消えないようにするためである。



火を燃やすのは楽しい作業である。



いつも感じるのだが火を見ていると心が癒されるような穏やかなエネルギーと、文字通り気持ちを燃え立たせるような力強いエネルギーの両方を感じる。



心に悩みや問題を抱えている人が多いが、この火を使ったセラピーのようなことができないか…と時々考える。



太古の人類は火を手に入れることによって恐ろしい獣を避けることができるようになった。また極寒の冬に暖をとることができるようになり、温かい食べ物を手に入れた。その喜びや安心感、火への感謝は多分、人間の記憶の古い部分に残っているのではないかと思う。



火を燃やし、火を囲んで語り、時に火を使って飲食をする。そのことは人間に生きる活力や安心感のようなものを与えてくれるのではないだろうかと考えている。




暖炉よりも囲炉裏のようなものがさらに良いと思うのだが、火を使ったセラピーのアイディアはまだうまくまとまらないでいる。




京都の歴史を足元からさぐる―丹後・丹波・乙訓の巻

京都の歴史を足元からさぐる―丹後・丹波・乙訓の巻





一昨日、密林の古書に注文した森浩一「京都の歴史を足元からさぐる―丹後・丹波・乙訓の巻」(学生社)が届く。





薄い本かと思ったら400ページ近い大部な本である。適応にパラ読みするが、興味を引かれる記事が多い。





個人的に教えを受けた郷土史研究家のT先生(故人)のことが書かれていたことが意外でもあり嬉しくもあった。




青葉山の松尾寺についても書かれていた。現在もご活躍中の松尾寺の名誉住職と森氏は堺中学で同窓生とのこと。





崇神天皇の時代、丹波に派遣された日子坐王(ヒコイマスオウ)が玖賀耳之御笠(クガミミノミカサ)を討伐したのは青葉山だったという伝承もある。





与謝郡浦嶋子、いわゆる浦島太郎がこの日子坐王の系譜につながる人物であるというのも興味を引かれる話題であった。


秋の夜長に気ままな読書ができるのはささやかな楽しみである。







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