秋の法話 「古代人と夢」
10月に入って好天が続く。
9月の稲刈り時分には雨が多かったのに、稲刈りが終ってから好天とは皮肉である。
好天が続いて、来月の紅葉時期に雨続きなのでは…と心配は尽きないが、天気は天に任せるしかない。
最近、数年ぶりにリスを見かけた。
千年ガヤの裏手あたりにいるらしいが、大きな尻尾を振って走る姿はまことに可愛いものである。
朝方、境内に白いもやが降りた、もやの出る日は大抵好天である。
本日もめったにない好天となった。兼務寺院にハイキングにこられた団体があり、ささやかなを法話した。
話を終えると参加者の1人が俳句を下さった。法礼が俳句とはまことに粋である。
説法を収穫にして寺の秋
『関西花の寺二十五ヶ所』では予約してこられた団体には法話することになっている。
当たり障りのない軽い話しかできないが、因果応報といった仏教的な考えを一言付け加えている
因果応報とは自分のしたことが自分に返ってくることを意味しているので、良い言葉や良い行動を選び、悪い言葉や悪い行動を慎むということは幸せのもとであり、不幸せを避けるもととなる。
しばらく前にそんなことをお話したら、
ある男性から介護している自分の母親を思わず叩いてしまうという深刻な相談を受けた。
因果応報という話を聞いて、それが自分に必ず返ってくることにハッとされたとのこと。
ささやかな山寺のささやかな法話を真剣に受け止めてくださったことにこちらもハッとした。
この仕事の遣り甲斐であるな…と感じるものがあった。
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お寺とは単に参拝するだけでなく眠る場所であったのではないか…もう何年も前から考えていることである。
寺で眠る(籠る)ことで得られた夢やお告げを得ることがお寺に参篭するその大きな目的であったと考えている。
有名な「わらしべ長者」もその発端は主人公が長谷寺の観音に願をかけて参篭し「最初に手にしたものを放すな」という夢のお告げをえることから話がはじまる。
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このテーマについては文献が少ないが、西郷信綱「古代人と夢」を読んで、眼を洗われるような読書の喜びを味わった。
「崇神紀」には天皇の候補者から1人を選ぶのに夢見によって決めたとある。
夢見によって天皇を決めるとはばかげた話のようだが夢が神からのメッセージであったとしたら納得できる話である。
夢は古くは「イメ」であったらしい。
<イ>は<眠り>、<メ>とは<目>である。
眠りながら得る視力というのは言い換えると、魂の覚醒であり、魂が神仏と交流することなのである。
著者は古典学の大家であるが、その表現にはどこか詩人に通じる感性が宿っていて、その言葉に深い響きがある。
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