善意のすきま風

 昨日の朝のことである。玄関に一人の男性が訪れた。

 「大阪まで歩いて帰るところです、何か食べ物を恵んで下さい、百円でいいのでお金を下さい」
と懇願するのである。「ああ、お腹が空いた」といってその場にしゃがみこむのだが

なんかものすごく演技っぽい…(笑)

 とにかくお腹が空いたというので頂き物のお饅頭一箱とお下がりの果物、ペットボトルのお茶を進呈した。
 これで良かったのか悪かったのか。釈然としないものが残った…

 そういえば昨年もそんな人が来た。新潟まで帰りたいのだが旅費がないという…ご丁寧にも北陸風の微妙なお国ナマリで話す人物だった。
 その人物は「交番で頼めば旅費を貸してくれますよ」と言うと慌てて帰っていった。

 住職も突然尋ねてきた人物に「北陸に帰省したいので旅費を貸してほしい」と頼まれてお金を貸したが、結局お金は返ってこなかったそうである。

 私も東京に居た頃、財布を落としたので電車賃を貸してほしいと頼まれたので、住所を教えて貸したが、それっきりだった…

 困った人が居たら、助けてあげたいと思うが、こんな人ばかりだとこちらも本気で人助けしようという気持ちが萎えてしまう。それとも私の善意がその程度のレベルなのかもしれないが…

 「寸借詐欺」という言葉があるが、騙された人はその後、かなりの確率で人間不信に陥ることになる。それまで気軽の行っていた人助けや親切ができなくなったとしたら、こうした詐欺を働いた人物はとても大きな罪を作ることになるだろう。

 <因果応報>ということを信じていたら怖くて悪いことなどできないはずである。
 人を騙すことが横行する社会というのは間違いなく宗教が力を失いつつあるに違いない。