不可解な電話 仁王門のある寺
本日は気温やや低下し朝晩肌寒い。明日も同様の見通し。
朝方、電話があり聞き取りにくい声で
「…役所の…ものですが…カシオリを持参します…」
「カシオリを持参」とは…
「菓子折」のことか…
役所が菓子折りを持って挨拶にくる????
いやいや、挨拶に来ることを「菓子折りを持参」と言うはずが無い…
時代劇だと「菓子折り」には小判が入っていたりする…
「お代官様のお好きな山吹色の菓子を持参いたしましたフォッフォッフォッ…」
そんなこんなが朝方のスロースタートな頭のなかでグルグル渦巻いていたのだが…
しばらくして軽トラクックで大きな檻が運ばれてきた
「カシオリ」とは「貸し檻」のことだったのだ…
兼務寺院の山門に動物が侵入している痕跡があるので獣害対策用の檻のレンタルを依頼していたのだった。
一昨日は歴史街道ウォークにて兼務寺院の観音寺が取り上げられた。
かってはお寺の近くに住まわれたいたという檀家さんからお話を伺う。
昭和40年頃、近隣の山間に住まわれていた方の多くが山間の村の生活を離れて山の麓に住居を移されるようになった。
大きな原因としては冬の降雪が多くて生活に不便なためである。
かってはこのお寺の周りにも戸数11軒の村があったとのこと。
山門はかって村の入り口付近にあったものを現在の場所に再建されたものであるらしい。
現在の山門も比較的大きなものだが、当所の山門は二層構造で仁王像が2対収蔵され、観音菩薩の眷属である二十八部衆の彫像もあったらしい。
旧山門のあった場所は『におうど』という地名が言い伝えられている。
「におう」が「仁王」に由来することは間違いないにしても、「におうど」とはどういう意味なのだろうか。
地蔵菩薩を祀った「地蔵堂」が全国にあるように、「におうど」とは「仁王堂」(におうどう)の転訛でなないだろうか…と連想した。
調べると全国に「仁王堂」という地名のあることが分かった。
現在は山門と呼び習わしているが、かって仁王堂と呼ばれた可能性があるというのはささやかな発見だった。
丹後の古刹には規模の大きな山門を持つ寺院が少なくない。
最も有名なのは国宝に指定されている綾部にある光明寺のニ王門である。
(「仁王門」ではなく「二王門」というのが正式な名称である)
歴史街道ウォークの際に確認すると山門の羽目板に大きなズレがり、さらに軒板にも破損箇所がある。
そのために行政に獣害対策用の檻を借りることにしたのである。
住職として殺生に加担したくはないが、歴史的建造物を守るという重い責任を果たすためにはいたしかたがない。
【山中の古刹をどのように守っていくべきか…なかなか大きな課題である】
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