荒天 冬の名物 青山禅師
朝から雨、みぞれ、雪。風やや強し。
まだ雪の予報があり油断できない。
仕事をしているときに微かにモーツアルトの音楽を流している。
心が落ち着かないときも不思議と仕事に向き合える。
福井のお客様から水羊羹を頂く。
水羊羹といえば夏の風物だが、福井では寒いときにこたつに入りながら水羊羹を食べるという食文化がある。
たいてい一枚流しの大きな羊羹でその感じも趣きがある。
この地は福井に接しているが冬に水羊羹というのはまだなじみがないが食文化の違いを実感できて興味深い。
- 作者: 青山俊董
- 出版社/メーカー: 佼成出版社
- 発売日: 1998/11/01
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログを見る
- 作者: 青山俊董
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2000/02
- メディア: 単行本
- クリック: 2回
- この商品を含むブログ (1件) を見る
古書で注文していた青山俊薫師の「道はるかなりとも」「悲しみはあした花咲く」が届く。
特に「道はるかなりとも」は著者の半生記を含んでいてお諭しをうけるよう。
禅師の御実家は普通の農家ながら2、3代遡っただけで10人近い出家がおられるという。
機根や仏縁というものはあるのだと思わずにいられない。
5歳で寺門に預けられ15歳で出家された著者の生きてきた道が説法のように感じられる。
江戸時代の名僧盤珪禅師という方がいました。この禅師を慕う盲目の人が、禅師のことを語った言葉が伝えられております。
「人が他人に祝い事で、“おめでとうございます”“よかったですね”と言うのを聞いていると、必ず“うらやましい”という響きがあり、反対に悲しいことがあって、“お気の毒に、気を落とさないでね”とお悔やみなぐさめを言うのを聞いていると“私でなくてよかった”という響きがある。人情とは、そういうものです、ところが盤珪さまは違う。相手がどのような人であろうと、まったく変らず、なごやかに語り、よろこびや悲しみのすべてを、その人と一緒になって受けとめておらあれる」
この方は、目が不自由でいらっしゃるがゆえにこそ、何気ない言葉の奥にひそむ人の心を鋭敏に感じとれてしまうのでしょうね。
この鋭敏な感性にハッとすると同時に、私は自分の口にする言葉の響きに、改めて耳をかたむけたことです。
(青山俊薫「悲しみはあした花咲く」)
よろこびも悲しみもその人と一緒になってうけとめる…ただそれだけのことでもなんとはるかな道なのだろうかと思う。
そのはるかな道の片隅に御縁を頂いて今日もたどたどしく歩んでいる。
にほんブログ村←いつもご訪問ありがとうございます!
丹後の山寺の住職に応援のクリックをポチッとおねがいします(^人^)
.