齧られました 軽重を問う どこから来られましたか?
娘が夏休みの観察ようにと大事にしていた稲の穂を鹿が齧っていたことが判明。最近、鹿の出没件数多し。
武術家の黒田鉄山氏の書かれたもののなかに『重いものを軽く持つ 軽いものを重く持つ』という言葉があった記憶している。
優れた身体操作によって重いものも軽く持てる。筋トレをやって筋肉をつけたので重いものを持てるというのではないということなのだろう。軽いものを重く持つというのは私には少し高度で良くわからなかったが、なんとなくは分かる。
軽い刀だからといってぞんざいに扱うのではない。茶道でも茶杓のような軽いものを非常に丁寧に扱うと聞いたことがある。
人生における様々な苦悩も味方を変えれば易々と乗り越えられるかもしれない。
あるいは人生における僅かなできごとにもその人の人柄が現れるのであるからゆるがせにできない。
最後には重いとか軽いとかいう区別もなくなるのかもしれないが道遠しである。
先日、島根のお寺に出かけた際にスリランカから留学されているSさんというお坊さんにお出会いした。
身長は私と同じくらいだが実に堂々たる体格。浅黒い肌で眼光が強いが、笑うととても無邪気で気さくである。
広島大学の大学院で学ばれていて日本語もかなり堪能である。英語で輪廻に関する論文を執筆されているという。
「どこから来られたましたか?」と聞かれたが「舞鶴」といっても通じそうにないので「京都の北の方から」というと
「大谷大学の辺ですか?」
と言われ思わず笑ってしまった。
「いえ、もっともっと北のほうです。熊が出るような田舎ですよ」
というと
「その熊は白い熊ですか、黒い熊ですか?」
そんなに北じゃない…
気がつくSさんは脚が少し不自由なようだった。
ケガをされたのですかとお尋ねすると、大津波に逢ってその時に大きなケガをされたという。
周囲の方のお話ではSさんの家族、親族の多くがスリランカを襲った大津波で一瞬のうちに亡くなり、Sさんは奇跡的に助かったのだという。そのことをきっかけに出家され、スリランカの寺院では長老とよばれる立場であるという。
Sさんはすでに50に近い年齢で日本に留学されたが、留学生向けの奨学金は年齢制限があって利用することができないため大変苦学されているとのことだった。
そのこと知った島根におられる篤志の方が援助を申し出られかろうじて就学されているという。
Sさんは大津波で親を亡くした子供達をお寺で教育するための施設作りを進められ日本でも募金活動をされていた。
チラシを見せて頂いたが、日本語もどこかたどたどしくそこに一生懸命な感じが伝わってきた。
何枚かの津波の写真が載っていたが、その1枚は幼い女の子が津波に流されまいと椰子の木にしがみついている姿が写っていた。
その写真を見ていると自分の娘の姿とダブって急に胸に熱いものがこみ上げてきた。
そんな気持ちになったのも久しぶりのことで、自分でも不思議だった。
<津波=可哀相>というような理解ではない何かが気持ちのなかに動いたのだろう。
私も僅かながら寄付をさせて頂くことにした。
様々な人生の苦悩のなかで私たちは仏様の慈悲を頂いて生きている。
仏の慈悲というのはわが子を慈しむような、そんなものだと解している。
親が自分の子供を捨てておけないように。慈悲とは無条件であり、ただ与えるという姿である。
その一方で、人生を謳歌しているように見える人々でもその心において貧しく、愚かであれば、仏の眼からは椰子の木にしがみつく幼子にみえるかもしれないと思った。
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