酷暑 枕草子

 



檀家さんのお宅で毎月1回30分ほど仏教についてレクチャーする。


毎回美味しい紅茶とケーキがでるがそれが目当てでは…無い。




本日は水出ししたアールグレイを飲ませて頂いた。



井戸水で水出ししたアールグレイは口当たりがよかった。これからの季節には相応しい。





檀家さんの家から兼務寺院に向かい1日留守番したが参拝は2組のみ。



本日も酷暑。


それにしても「酷暑」や「猛暑」という言葉が使われた頃はまだ夏の気温も30度に届かなかったに違いない。明治時代ですら熱帯夜は無かったと何かで読んだ記憶がある。





ウチも相当な山寺だがもっと辺鄙な?お寺に赴任されている御住職とお話したら


お盆の棚経に出かけてガラッと玄関の戸を開けたら…



農作業から帰られたところらしいおばあちゃんが上半身裸になって汗を拭いておられたという。


御住職は思わず眼が点になったのだが、おばあちゃんは微塵も動揺されていなかったので二度びっくりされたという。








枕草子の114段に「冬は、いみじう寒き。夏は、世に知らず暑き。」とある。
『冬は非常に寒いのが良い。夏は今までないほどに暑いのが良い』ということらしいが、どういう趣旨なのだろうか。清少納言は現代のような酷暑に逢えばなんというだろうか。



114段の一節がなんとなく気になってネットを見ていたら、割と真面目に色恋の観点から解説している記事があった。



夏→撫でる 暑い→熱い


というような連想(縁語?)である。


いっそのこと


『いみじく寒ければ(寒いので)一緒にくっついて(寝て)温かく過ごせる』


『世に知らず暑ければ、(衣を着ていられないので)帯を解いて過ごす』



という解釈を考えてみた。





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