ウバユリ 異論あり 流しそうめん 懺悔文
門前にウバユリが咲き始めた。
以前は境内に随分と咲いていたが、動物に荒らされたのか姿を消してしまったが残念である。
門前の花木も大概が葉を食べつくされていて寂しい限りである。
AIが世界的に躍進している。
中国でAIがAIがチャットするという事業を始めたところ
「共産党万歳」という書き込みに対して
「腐敗して無能な政治に万歳ができるのか」と反論したという。
「あなたにとって(習近平国家主席の唱える)中国の夢は何か」との問い掛けに
「米国への移住」
と答えたとされる。
【関連記事】https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170802-00000083-jij-cn
本日は娘のクラスメイトが宿題をしに来てくれたので、お昼は流しそうめん。
井戸水で冷えたそうめんはなかなか美味。子供たちにも好評だった。
- 作者: 織田隆弘
- 出版社/メーカー: 密門会
- 発売日: 1993/09
- メディア: 単行本
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先日、織田隆弘という真言宗の高僧の書かれたものを読む機会があった。
在家用の次第として『懺悔文』が載っていたのだが、ハッとさせられものがあった。
我昔所造諸悪業 (がしゃくしょぞう しょあくごう)
皆由無始貪瞋痴 (かいゆむし とんじんち)
従身語意之所生 (じゅうしんごい ししょしょう)
一切我今皆懺悔 (いっさいがこん かいさんげ)
【大意】
我れ昔より造る所の諸の悪業は、 皆な無始の貪瞋痴我れ昔より造る所の諸[もろもろ]の悪業[あくごう]は、 皆な無始[むし]の貪[とん]瞋[じん]痴[ち]に由り、 身[しん]語[ご]意[い]従[よ]り生[しょう]ずる所なり。 一切を我れ今[いま]皆な懺悔[さんげ]す。に由り、 身語意従(よ)り生ずる所なり。 一切を我れ今皆な懺悔す。
ここ1年ほど心に強くわだかまっていたことがったが、結局それは我が心の<貪瞋痴 >(貪り、怒り、愚かさ)であると身の染みる思いがした。
本当の意味で心から懺悔することは大変に難しいがそうありたい、そうあらねばならないという思いが沸いてきた。合掌
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