暑中見舞い 朝ドラみたいな体験 眼を大切に

 


暑中お見舞い申し上げます。
稀なる酷暑につき皆様くれぐれも御自愛くださいませ。

                  ぶろぐ坊九拝



勉強会に参加のため数日にわたって山寺を留守にしましたが、その間に猛暑の来襲です。








ここ数日ほどの暑さになるとさすがに日中の草刈りはできそうにない。



猛暑になる前に懸案だった場所の草刈りを行ったのは正解だった…と久しぶりに自画自賛



作業着の下に着る肌着をユニクロのエアリズムに替えてみたが、大量の汗をかいても肌着が濡れて身体にまとわりつく感じが少なくなかなか良かった。










酷暑でも夕方になると気温が下がり始め、山から涼気を含んだ風が吹き始めるのはありがたいことである。





仏教というのは酷熱のインドで生まれたので、経典に描かれる浄土には涼やかな微風が吹いていると書かれたあったりする。



酷熱に遭って微風の有難さを知る也。





全国の御住職の皆さんはさぞかしブルーでいらっしゃるのでは?


「この猛暑のままお盆の突入か…」みたいな。


そんなことを考えるのは軟弱者の私くらいか。










山寺に帰って録画しておいた朝ドラ「半分、青い。」を見る。




改めて気が付いたのだが、朝ドラに出てくる仏壇は大抵浄土真宗のものである。



真言宗とか、日蓮宗の仏壇というのは記憶にない。当然、登場するお坊さんも浄土真宗の方である。



偶然かそれとも思想的な問題か(笑)





昨日は主人公の結婚シーンへ。






同じ日に生まれたという運命的出逢いの2人が結婚…というお約束的展開を期待していたら。今回は


恋愛的寄り道が豊富



さらに…


主人公が発明を成し遂げるというので町工場の夫婦のサクセスストーリーかと思いきや


主人公はいきなり少女漫画の世界へ



全く展開が読めずついつい見てしまう。




実家に結婚報告に行って厳粛な雰囲気に耐え切れず爆笑してしまうというシーンがあったが


私も妹の結婚式の時に似たような経験がある。


神主さんを迎えた神前結婚式で祝詞がものすごく変な節回しだったので笑ってはいけない…笑ってはいけない…と念じつつふと神主さんの足元を見ると畳の上なのに草鞋を履いているではないか!

笑いのツボ召喚


笑いがこみあげてきて、こらようとすればするほど笑いの波が押し寄せてくる。


その後どうなったかは御想像におまかせする。



無限の力 ビジネス呼吸法

無限の力 ビジネス呼吸法



最近は眼精疲労の回復というのを時々考えている。



眼が脳に近いということは眼の疲労は脳の疲労にも影響を与えているのではないだろうかという気がする。


眼の周囲の筋肉のマッサージと遠くのものを凝視を組み合わせて行っているが、眼の疲れが取れると仕事がはかどることが多い。


学生時代から著書をフォローしている運動科学者の高岡英夫さんは能力開発の根底にあるのは疲労回復であると説かれているが全く正しい気がする。



幼い子供たちは大人には考えられないほど元気に活動する。


その源は身心の疲労の蓄積がほとんどないということと、それにともなって脳神経系へのストレスが無いからではないかという気がする。



新しい自転車を買ってもらい少しこぐだけで気落ちよく走りだしたとしたら、我知らず遠くまで自転車を走らせてしまうかもしれない。そして心地よく走れることが心にフィードバックしてまた走りたくなる…


疲労の無い、健全な身体と脳・神経系の理想的な関係はそのようなものではないだろうか。



それがもし錆びだらけで、フレームもゆがんだ自転車を与えられたらどうだろうか。


走る気持ちも無くなってしまうに違いない。


身心に疲労を残したまま活動を続けようというのは錆びた自転車に甘んじ、それでも無理に走ろうとするようなものだろう。

走ることがストレスになり、そのストレスで脳・神経系はモチベーションを失ってしまうに違いない。その下がったモチベーションを無視してまた自転車を走らせる…恐ろしいほど悪循環である。





現代人にとっての疲労の要所のひとつは眼であると思う。



生活でも仕事でもレクリエーションでも常に眼は酷使され続けている。



時には眼に感謝し眼を休めてあげてはどうだろうか。



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