伝説の乳粥

お坊様のレストラン その4
aoi_kさんのコメントを読んでいていろいろ思いだした。釈尊は断食など自分の肉体を苛む極端な苦行を6年あまり続けられていたが、それが無益であると判断され村娘スジャータの奉げた乳粥を召し上がって元気を回復された後、瞑想の座につかれ悟りを開かれた。

子供の頃、オートミールというものを食べてみたいと思っていて、或る時、ホテルの朝食のメニューにオートミールを発見し、親にせがんで注文してもらったらとてもまずかった。
最近も映画を見ていると親が子供に「オートミールを残さず食べなさい!」と叱っているシーンがあり外国でも「身体にいいけど不味い食べ物」という扱いらしい

乳粥というのもオートミールのように白っぽくてどろどろしたたいして美味しくない食べ物と思っていたが奈良康明さんの「釈尊との対話」(NHKブックス)にこんな記述を見つけた。氏がインドへ研究のため滞在していた頃の体験である。(同書p10)


ある時、指導教授の家に招かれ、お茶をご馳走になったことがある。奥さんがだして下さったのが、ミルクの中に米粒がはいっていている食べ物だった。甘くて、スパイスがたっぷりきていて、良い匂いがして、いかにも滋養がありそうで、まことに美味しいものだった。名前を聞いたら、パヨシュだという。「美味しいものですね。初めて食べました」、と私は言い、何げなしに昔からある食べ物かと尋ねた。先生は教えてくれた。釈尊が苦行を中止した時、村娘のスジャーターが捧げ、それを食べて釈尊が元気をつけ、菩提樹下に赴いて悟りをひらいたのが、このパーヤサではないか、おまえは仏教を勉強していてそんなことも知らなかったのか!
ああ、これがあのお釈迦さんの召し上がったパーヤサですか、と私は大きな声をだしたのだが、別に、二千五百年前の釈尊の食べたそのものを私が食べているわけではない。しかし、この物語なら無論知っている。漢訳経典には乳粥などとあるし、日本に居た時にはミルクのはいったお粥などまずいだろうねえ、などと話しあっていたものである。その原語がパーヤサなので、その食べ物が今日まで、同じ中身と言葉  ベンガル語では発音が幾分違うが  で伝承されている、という考えてみれば当たり前のような事実に感心し、同時に、釈尊がこれと同じものを食べて、気力を回復したのかと思うと、わけもなく感激したことを私は覚えている。私なりの忘れ得ぬ思い出なのである。


乳粥を召し上がったというのは、それまで行っておられた断食を止められたということであろう。ちなみにコーヒーフレッシュの商品名「スジャータ」は乳粥を捧げた村娘の名前に由来するそうである。