戒律

この夏の異常気象のせいか全国で春に咲く花木が開花しているという。山寺でも梅林の梅が何本かの枝に梅の花が咲いていた。

ひろたんさんのコメントを読んで「鹿の遠音」という言葉があるのを知りました。なんという味わいのある言葉!今朝も鹿の遠音が響いていましたが、鹿の普段の声?はもっと甲高いもののようです。何年か前の真冬にお寺の庫裏のまわりを鹿が走り回っていたことがあってその時の泣き声はとても甲高い「piiiiiiiii」というような声であった。

少し前だがお坊さん100人に聞いた好きな焼肉とかいうテレビの特集があり
一番人気は「骨付きカルビ」だったということだった。

昔のインドならお坊さんに食事を出すために眼の前で生き物を殺して調理することがあったろうし、御釈迦様は慈悲を説かれたのだから生き物を殺生することを望まれたとは考にくい。

インドではお釈迦様が仏教を説かれたのと前後するように沢山の宗教的、思想的な集団があったようである。徹底的な不殺生を説く生き物を殺すことを徹底的に排除して、植物を食べることすら殺生として否定した集団もあったようである。何を食べたかというと枯れた植物だけだという。
現在でも不殺生の教えを守って生きている人々がインドには大勢いる。
日本のお坊さんは剃刀で剃髪するが、剃刀を使うと頭のノミやシラミを殺すといって髪の毛を引っこ抜いて丸坊主にしている人達もいる。10万本からある頭髪を全て引き抜くわけだから物凄い痛みだという…

仏教には戒律に厳しいグループと戒律の緩やかなグループがあり、日本の仏教は後者に属する。規律が緩やかといっても本山などで修行期間はやはり厳しいのが普通である。

私の本山では肉、魚はもちろん卵もダメ。調味料もソースやケチャップはあったが卵の入っているマヨネーズは無かった。また生もの(生野菜)なども禁止。野菜の中でもニンニク、玉ねぎ、韮などは五薫と呼ばれる匂いの強い野菜も禁止だった。昔は修行僧は2食だったという。


今週の「週間現代」の巻頭に永平寺がとりあげられていた。
永平寺も現在は三食だが晩御飯は「薬石」と呼ばれている。ご飯ではなく、お薬なんですということだろうか?

 価値観が多様化しているといって昔の戒律を全て意味すてさることはできないし、また戒律を守っているからといってそれが必ずしも正しいとは言えない場合もある。なかなか難しい問題であると思う。