鉄道あれこれ


久しぶりに700系で東京へ行った。

私は新幹線の車両の揺れを感じながらうたた寝するのが好きなのだが、通路を挟んだ向かいの席に座ったオバサン4人組が物凄い勢いで話し始め、しかもガサガサばりばりとひっきりなしに物を食べているので気になって寝られなくなってしまった。そのうち「世界陸上織田裕二」はあんまりだったというネタで加速度的に盛り上がり始めた、結構話が面白いのでついつい私も聞き耳を立てていたら突然、会話が途切れた。そしてため息とも歓声ともつかない声が聞こえてきたので、通路の反対側の車窓を見ると富士山が姿を現したところだった。

新幹線が富士山の横を過ぎるとき、ふと新幹線の車中の空気が変わることがあって、その感じが結構好きである。外人さんなんかがいると「Oh!Fujiyama!」などと声が聞こえたりするのもちょっと優越感のようなものを覚える。日本人にとってやはりこの山の存在は特別なのだと思う。
結婚の前に嫁がこちらと東京を頻繁に往復していた時期がある。或る時、車窓に綺麗な富士が見えたので思わず「富士山!」と言ったら、隣で一心にメールを打っていた若い女の子が車窓の富士山を見て「ギャー!」と叫んだそうである。あまりに美しいと感じてそのような悲鳴をあげたらしい。新幹線から見る富士山はふと姿を現してわずかな時間でまた消えていくのでその感じもまたいいものである。

オバサン達は座席を対面にして4人で話していたのだが、昔の列車の座席は大抵、座席が対面で作り付けになっていた。文豪とよばれるような作家の小説を読むと、大抵、この座席での乗り合わせるという場面が出てくる。(個人的には泉鏡花の「高野聖」が好きである)
私が十代の頃はまだこうした列車の最盛期で、乗り合わせた見知らぬ乗客どうしが世間話をしたり、車内販売で買った食べ物を分け合ったりといった光景がよく見られた。私も向かい側に座った見知らぬおばさんに竹輪や冷凍みかんを貰ったことや、受験の帰りに一杯機嫌のおじさんに激励されて握手して分かれたことなどを今でも思い出す。それももう昔話である…


 この山寺の最寄駅は無人駅である。

 海軍基地が近くにあったために半世紀前は府内でも屈指の貨物の取り扱いのある駅だったという。
 プラットホームが小高くなっていて、誰も居ない改札を抜けると、古いコンクリートの石段を上がる。黄色いセイタカアワダチソウやススキやカヤが一面に生えていて、ここにくるとなぜか芭蕉の「夏草や兵(つわもの)どもが夢あと」という句を想いだす。
 私がこの駅を使うときは2両編成のワンマン列車である。
 こちらに帰ってきた頃は、列車が2両で走っているのはすごく新鮮に感じたものだった。
 それでも車両自体はとても新しく、昔の普通列車の面影は無い。昨今、昭和40年代がブームだそうだがかっての普通列車を走らせたら案外人気が出るかもしれないと思ったりする。