入山料を払わない理由


    山寺のスピリチュアル問答

 訪れる人もまばらな山寺だが11月中旬から下旬にかけては紅葉狩をかねた大勢の参拝者で賑わう。江戸時代以前からもみじの植樹が続き、今の住職自身も3000本余りのもみじを植樹したという。推定ではもみじの総数は5000本から1万本と言われる。

 かっては勅願寺として皇室や歴代城主に厚い庇護を受けたこの山寺も今では僅か7軒の檀家で支えるだけとなった…
 あまりいい言葉ではないが「坊主丸儲け」などと言う。しかしお寺の維持管理には莫大なお金がいるのが現実である。数年前、山内の建物の屋根を葺き替えた際は7000万円余り掛かった、特殊な工法 の屋根で20〜30年毎に葺き替え続けないといけないから大変である。

 十年程前から、参加している霊場会(お寺巡りの札所の集まり)の取り決めでウチの山寺でも拝観料を取ることになった。その額200円である。団体参拝などは一括して払ってくれるので良いが、個人については門前に箱を置いて入れて頂く形を取っている。

 私が数年前にこの山寺に帰ってきて驚いたのは、この入山料の箱に鍵が掛かっていないことであった。しかも週に何回も誰かが開けてお金を抜いている痕跡がある!なぜ鍵を掛けないのかと聞いたら、鍵を掛けたら夜に箱ごともって行った奴がいるというのである…しかもこの箱を開けてみるとい1円玉、5円玉がどっさりである。クリップや王冠なども入っている…

 紅葉狩りの最盛期によく見ていると門前の箱に拝観料を入れずにどんどん人が入ってくる。中には団体で通り過ぎる者もある。業を煮やして、昨年から本堂に抜ける道で拝観料の徴収を始めた。

 京都の大寺院であればそんなことはないかもしれないが、山寺で拝観料というのは意外に思う人も多いらしく風当たりが強い…
 
 払いたくないという人の理由は実に様々である
「去年は払わなかったから」「地元の者だから」「何度も来てるから」「高すぎるから」「(拝観料を取ることに)納得できないから」「他のお寺は取ってないから」「写真を撮り来ただけだから」「報道関係者だから」「遠くからきてるから」「雨の日にきたから」「御賽銭をあげるから」「お守りを買ったから」などなど…

 この件でいろんなことを考えた。
 自分に不都合なことが起きた時、私達は「自分が傷つかない理由」をいくらでも考えることができる。私達は<感情と理性>で生きているように思っているが、実は<感情だけ>で生きているのではないだろうか。それはある意味、恐ろしいことであり、危険なことである。

 そうして生きていくなかで大切なものを見失い、他人を傷つけ、自分を偽り、多くの過ちを犯す…自分の生き方を自分を離れた物の見方で見つめてみることが大切なのではないだろうか。スピリチュアルに生きるというのは霊能者にアドバイスしてもらうことではない。少なくとも自分に不利益なことが起きた時、その人の素の部分が顔を出す。言い換えれば、自分の利益だけ、目先の利益だけを追いかけていればいつか取り返しのつかない失敗をするということである。

 最近、この山寺にはめっきり京阪神のオバサマ達がくることが増えた。彼女達は自分の損得に本当に敏感である。彼女達になんとかこのことを伝えたいと思っている。