「花」白洲正子

burogubou2007-12-06


「花」白洲正子(神無書房)
 
お寺の本棚


義母とその姉二人がはるばる山寺を訪ねて下さったので、今日は車で市内を案内した。
昨日まで天候は荒れ気味で、明日からも傘マークが並んでいるのに今日は見事なほどの晴天だった。やはりこんな天気は気持ちがいい。
市内を案内して最後に大きなお寺へ行ったのだが、門前に小さな茶店ができていてお参りの前にそこで一服した。
数年前に若い姉妹が古いお茶屋さんを改装してカフェ風の店になった。お寺の門前というロケーションもいいし、美人姉妹?、古い和風の建築と味わいがある。

座敷に上がると床の間には一輪挿しと掛軸。湯気の出る鉄瓶の掛かった火鉢、など趣向を凝らしてある。
みんなすっかりくつろぎすぎて時間が無くなり、肝心の本堂へのお参りを大慌てですませ帰途についた。
店を出るとき良く見ると入り口に石臼があり、野の花が活けてあって心惹かれた。かっこいい!

「花」白洲正子(神無書房)

時々、この本を手にとって眺める。適当な頁を開いてぼんやり眺めては愉しんでいる。

「花は花だけで孤立するものではなく、周囲の環境と生活にとけこんで、はじめて生きる」と白洲氏の言葉の実践の書である。
活けられた野の花、花器だけでなく、その背景に町田にある白州氏の旧家の佇まい、周囲の自然が感じられる。そして白洲氏の心惹かれた古典や能楽、美術、詩歌への愛着が渾然となって溶け合っている感がある。

例えば夕顔の頁では水滴に濡れた白い夕顔が白地に金の箔を散らした扇の上に置かれ、次のような文章が添えられている。

光源氏が、はじめて夕顔の宿をおとずれた時、何の花とも知れず、垣根に白い花が咲き乱れているのを見て、哀れに思った。「ひと房折りて参れ」と随身に命じると、遣戸の奥から美しい女童(めのわらわ)が、香を薫(た)きしめた白い扇でさし招き、「これに置きて参らせよ」という。そのまま絵になるような美しい場面である。
やがて光源氏は、この花を媒介に夕顔の君と結ばれるが、暁を待たずに女は死んでしまう。夕方に咲いて、日の出前にしぼむ夕顔の花を、あらかじめ想定して書いたような、はかなく美しい女の宿命である。その夢のような姿にひかれた後世の人々は、「夕顔の巻」の情趣を、絵画や蒔絵や染織に換骨奪胎して、みごとな作品を造りあげた。中でも、お能の「夕顔」と「半蔀(はじとみ)」は傑作で、花とも人間ともつかぬ花の精を主人公に、幽玄な美しさを表現することに成功した。

「白き扇のつまいとう焦がしたりしに、この花を折りて参らする」

ちょうど中村清兄(きよえ)氏が造って下さった白い扇があったので、謡曲「半蔀」の雰囲気を表してみた。夕顔は私の家では四時ごろに咲くが、水をあげない花なので、そのまま扇の上に置いた。この扇は平安期の形を模したもので、かわほり(蝙蝠)と呼んでいるのも、夕方使うのにふさわしいと思う。

最近になってぼんやりこの本の表紙を眺めていたら、鉄製の燈明台に白い椿が一輪活けてある構図が、遠めに見ると、画面の構成が絶妙であることに改めて気付いた。ようやく忙しい時節を過ぎ、これからはこの本を眺める時間も多くなりそうである。