暮秋の紫陽花

今年、柏葉アジサイを買った。

 柏葉アジサイの花は普通のアジサイのように毬のような形ではなく、三角錐のような立体的な花を咲かせる。
 柏葉アジサイを買った理由のひとつは真っ白で三角錐の珍しい花を咲かせることだが、もうひとつの理由は、このアジサイの葉が美しく紅葉すると聞いたからである。

 私のいる山寺はもみじが大変多いが、もみじ以外にも紅葉する植物を集めて、お参りの方に愛でていただこうというのが密かな計画である。

 今頃になってこの柏葉アジサイの葉が紅葉し始めた。
 濃い紫のような色で、濃淡がありなかなか美しい。鮮やかな色ではないが深みがある。

 アジサイは概して細い茎に対して、花が大きく、花の周りに付く葉も大きい。
 とても不安定な感じがする。だがよく見ていると、この不安定であることにも意味があるようである。花の付いている茎が重みで容易にしだれるのである。茎の一部が地面に付くとその部分から根を生やすのである。そうして株をどんどん外周に広げるるしくみになっていることに最近気付いた。

 こうした姿を見ていると植物の持つ、生命力や逞しさを改めて感じる。

 花という言葉から私達はいろんなことを連想するが、実際に花を観察していると可憐とか美しいとかでは済まされない、生きるための合理的な、理知的な、逞しい姿も感じられる。

 日本人はアジサイを好むが西洋ではあまり好まれないそうである。
 色が変わっても長く咲き続けるのが欧米人には不吉な印象を与えると聞いたことがあるがほんとうかどうか知らない…沢山改良品種があることを考えれば、この花を好む人は海外にも大勢いるのだろう。

 アジサイは強健な植物で、花期が長い。そんなこともあってお寺のなかにはアジサイを境内に植えているところも多い。宇治の三室戸寺や福知山の観音寺はアジサイ寺として有名である。11月の紅葉の時期以外にも何か花期が長く、育てやすい花木を植えたいというのが私のもうひとつの密かな計画である。アジサイもその候補である。

 アジサイを境内にもっと増やしたいと最初に考えたのは父である。
 ところが、困ったことにアジサイの花を食べてしまう昆虫がこの地域にいるらしく、6月になるとアジサイの花の少なからずがこの虫にたべられ、茎と葉だけ残して、肝心の花が失われてしまう。一体、どういう種類の昆虫なのか未だに謎である。

 幕末に来日したシーボルトが日本の植物誌「フローラ・ヤポニカ」を書き残している。そのなかに山アジサイの花が八重になったシチダンカというアジサイがある。
シーボルトは日本のアジサイとして記録にとどめているのだが、実物は失われて、幻の花とされていた。


 1959年に神戸の六甲でこの花が発見され、大々的に報道された。
 今年、神戸のお寺の法要に参加した時にこのシチダンカの小さな苗を頂いた。

 枯らさないように眼の届く玄関のそばに植えたが、家にいる駄犬が散歩の時、戯れて茎を何本か折ってしまった。それでも枯れるまでには至らなかったのは幸いである。
一体、どんな花が咲くのか今から楽しみである。玄関のそばで細い茎を冷たい風になびかせている。いつか咲くであろう花を想像するのも寒い季節の楽しみである。