百人一首という謎  …隠された定家コード…


 お寺にお参りに来られた方に「小倉山荘」というお菓子屋さんのおせんべいを頂いた。

 ここのお菓子は私の好物である。多分、素材がいいのだと思うが味がくどくなく、洗練された感じである。そしてこのお店は紙袋、包装紙、個包装小さなパッケージ、そして商品名にいたるまで、和歌や平安風の様々な意匠が凝らしてある。そのこだわりぶりがとても楽しい。紙袋には百人一首が全部書かれてあったりする。この徹底したこだわりが面白い。

 ここのお店のパンフレットには百人一首にまつわる興味深い話が書かれている。
 要約すると以下のような内容である。

 百人一首天智天皇から順徳院にいたる歌人の秀歌を一人一歌ずつ集めたものである。
 選者は鎌倉時代の大歌人藤原定家である。
 
 ところがこの百人一首には不思議な点がある。それは新古今時代の大歌人である藤原定家が何万、何千という歌の中から選りすぐったという割にはあまりにも平凡な歌が多いということである。百人一首の姉妹編にあたる「百人秀歌」に定家が次のような内容を書き残している。「有名な歌人やすぐれた歌をたくさん漏らしている、用捨はわたしの心にある。他からとやかくいわないで欲しい」と。つまり定家の百人一首は単なる名歌のアンソロジーではなく、特殊な意図のもとに選ばれているというのである。(ダビンチ・コードならぬ定家コード!)

 100首の歌であるからこれらを縦横10づつのマス目に当てはめることができる。
 その組み合わせは無数にあるが、なかにひとつだけ特別な組み合わせがある。並べられた全ての歌が 上下左右に隣り合う歌と共通の合わせ言葉を持つ組み合わせが存在するというのである。

 考えてみればこれはすごい工夫である。超技巧といってよいだろう。ところがまだ続きがある。この配列された100首のうち、右側7列は自然の情景を詠んだ歌であり、その歌に用いられている合わせ言葉や歌に含まれる言葉を絵に置き換えると、一幅の掛軸のようにひとつの山紫水明ができるのである。しかもその情景は全盛期の後鳥羽上皇が定家らを召して歌会を開いた水無瀬離宮の里(大阪府三島郡島本町から京都府乙訓郡大崎町にかけて)であるという。

 後鳥羽院鎌倉幕府打倒の密議が露呈し、隠岐へ配流となる。主を失った水無瀬離宮も荒廃したが、この百人一首は定家が恩人である後鳥羽上皇に捧げたものである…

 100首の歌を共通する言葉を手掛かりに配列し、さらに歌の言葉を絵画に見立てて全体を一幅の絵に模するとはなんという素晴らしい発想であろうか、しかもそれは定家から恩人である後鳥羽院への愛惜を込めたオマージュになっているとは!

 この説が事実とすれば日本人が言葉で残した様々な言語作品のなかでも百人一首によって絵画的に歌を配列するという定家の試みはその高度さと緻密さにおいて世界の言語文化史上傑出したもののひとつではないかと思われる。

 長岡京には小倉山荘の手掛けた「竹生の郷」という施設があり、そこには百人一首によって描き出された「水無瀬」の情景を模した庭園があるという。一度行ってみたいものである。


 参考文献
林直道「百人一首の秘密」(青木書店)
林直道「百人一首の世界」(青木書店)

小倉山荘WEB本店
http://www.ogurasansou.co.jp/