花の力

 部屋で妻と話していると息が白く見える(笑)
 本当にこの山寺の寒さをこたえる…まだ本格的に雪が降っていないのにもう春が来ることを考えている。


 今日、産経新聞の「産経抄」にいい話が載っていた。

 米海軍の高官で、海上自衛隊創設の礎を築いたアーレイ・バーク氏のエピソードである。
 氏は南太平洋で日本軍と死闘を繰り広げて大勢の部下を亡くし、日本人が大嫌いだった。日本に初めてやってきた時にホテル暮らしの無聊を慰めるために花を買ってコップに挿していたら、花は花瓶に移され、時々、新しい花が加えられていた。部屋係のメイドがポケットマネーで花を換えてくれていたのだった。メイドは戦争で夫を亡くした未亡人で、アーレイ氏はそのことをきっかけに日本人をもっと知りたいと思うようになったという。
                    ※ 出典は「海の友情」(中公新書


 エピソードの主旨からは少し離れるが、花の持つ力は偉大だと思うことがある。
 玄関に活けられた僅か一輪の花が私達の心を和ませることがある。人間と一輪の花ではその差は圧倒している。にもかかわらず私達は花の力にうちのめされることすらある。

 一体、この力はどこからくるのだろうと時々思う。

 ひとつには花を以って人を和ませようという心遣いに心を動かされるのだろう。

 棚行といって真夏に檀家さんの家を一軒一軒回るのがお寺の年中行事である。
 汗を流しながらお経を読み終え、後ろを振り返るとお年寄りや子供が団扇で風を送ってくれていることがある。これなどとても嬉しいと感じる。相手の心遣いに気持ちが動かされるのである。

 また、ひとつには花を活けようとする人の心の意気に惹かれるのだろう。

 秀吉が夏に千利休に招かれた。

 利休が千株にも及ぶ朝顔を育てていると聞いていた秀吉が美しい朝顔を見られると期待して利休を訪れると、朝顔は全て刈り払われていた。失望した秀吉が茶室に案内されるとそこにただ一輪の朝顔が活けてあった。

 有名なエピソードだが私のとても好きな話である。
 千株の朝顔が咲き乱れるのを期待していたところが、一本の朝顔も残されていなかった。
 その気持ちで見たたった一輪の朝顔。夢のような美しさではなかったろうか。
 私達は沢山の花が咲いているのを愛でる。しかし、案外一輪一輪の花の美しさは忘れていることが多い。利休の活けた朝顔はそのことを教えてくれる。

 だが間違いなく花自体にも大きな力が秘められていて、私達はそのことを感じることができるように思う。

 本山に居た頃、春先に境内を掃除していた。小さな花がそこここに咲き始めていた。私はその中で、小指の爪に乗るくらいの小さな黄色い花に釘付けになった。
 なぜか、その小さな花からとても堂々として、威厳といっていいくらいの迫力を感じたのである。今でもその光景は忘れられない。

 私達は小さいものをか弱いものと決め付けてしまうことがあるが、それは間違いだと思う。

 例えば、春に姿を現す蕗の塔が私は好きだが、地面から初めて頭を持ち上げた頃の蕗の塔には毎年のように感動を覚える。なにかとてつもない力を感じるのである。清冽な気がほとばしるように感じるのである。ところがこの蕗の塔がもう少し生長していわば大人になると、なぜかこの迫力は消えてしまっているように感じられるのである。これはいつもながら不思議なことだと思う。

 そんな生命の不思議を眼の前の自然から日々教えてもらえる暮らしとはやはり有り難いものだと思う。そしてやっぱり春が恋しい…