清水の如く

始めにお詫びから。
昨日のぶろぐで「(ケーキ屋で)私はケーキを一個、妻は2個注文し」と書きましたが、正確には「二人で注文した3個のケーキを一個半づつ食べ」とすべきでした。

一部関係者の方に大変、不愉快なおもいをさせたことをここにお詫びして訂正します。


次にクイズの答えですが、実はこれ確か「徒然草」に書いてあった謎々だったと思います。実は私もうろ覚えです(笑)確か
 
 ねこのこのこねこ(猫の子の子猫)
  ししのこのこじし(猪の子の子猪)

だそうです…さすがは一風斎!さんかなり良い線でした。


さて今日は御世話になっている先生のところへご挨拶に伺いました。
JRの車窓から燦然たる朝日が見え、心がすーっとしました。
正に遥拝の心持でした。

妻は京都の某有名神社へ帰省を兼ねてお参り。

ところが参道に出ている露天のゴミとそれを漁るカラスの大群で雰囲気がむちゃくちゃ悪かったとのこと…その後、貴船神社に出かけたらここはとても素晴らしかったのでまた行きたいとのことでした。私も行ってみたいものです。

最近、よく子供の頃を思い出すことがある。

よく池や川で遊んだ。
今、その池や川を見るととても小さく見える。単に自分の身体が大きくなったというだけでないようだ。子供の頃、池や川へ行くとわくわくした。石の下に蟹がいたり、泥の中におたまじゃくしがいたり。そんなわくわくする想いが池や川を大きく見せていたのかも知れないと思う。

池や川の底には泥や砂が積もっていて、水をかき混ぜると濁るが、しばらくするとそれらが下に沈んで綺麗になる。

そんな単純なことすら楽しくて、水をかき回して遊んだ。
今日、列車の中でふとそのことを思い出した。

かき混ぜれば濁る水が私の心のように思えた。
目先のことに追われ、自分の感情に振り回される自分の心。
いつもかき回し続けて、際限なく濁り続ける水のようである。

心を落ち着け、澄ますことができないかと思う。

10年以上前から細々と瞑想や座禅を行っているが、私にとってそれらは特殊な修行というより自分の心を澄ませるための大切な時間である。
今年一年もできるだけ心を澄ませられたらいいなと思う。