なまはげ暴走

ここ数日かけて一年分の味噌を作るので、夕方からかまどで豆を煮ている。豆を煮るふっくらした匂いが家の中に漂ってくる。自家製の味噌は美味しいと思う。まだお正月の餅がかなり残っていて、朝の味噌汁に焼いた餅を入れると大変結構である。


来月3日は節分会。

それにあわせて本堂にある大小の仏具(金属で出来た様々な道具)を磨かねばならない。
本山には大量の仏具がありそれを磨くのは修行僧の仕事だったが、大変だった…
ピカール」というとても分かりやすい商品名の研磨液があり、これが最も良いようである。

どこのお寺でもこの仏器磨きは大変な作業である。

最近は仏具をセラミックでコーティングするというサービスも普及しており、一度これを行っておくと殆ど磨かなくても済む。(そういえばガンダムにはマグネット・コーティングというのがあったが…)

新しいもの好きの住職はこのセラミック・コーティングをやりたくて仕方がないらしい。
このサービスはかなりお金がかかるので、私は面倒でも昔ながらの方法で磨きたいと思っている。普通は若いものが新しいことをやりたがり年寄りはそれを止めるのだがウチは逆である(笑)



なまはげが酒に酔って女湯に侵入したというニュースがあった。なまはげ暴走である。

最近は過疎化でなまはげのなり手がない。なまはげはどこの家でもお神酒を飲まされる。
お酒を出すのは本来は歓待の意味であるはずだが、なまはげの人数が少なくなって、泥酔状態になってしまうと今日付けの産経新聞で報じられていた。私もほとんど酒を飲まないのでなまはげをやらされたら暴走してしまうかも…


祭りというのは本来、多くの地域で性的なことに寛容であったようである。

<性>というのは生命力であり、大地を甦らせ、豊作をもたらす力であった。そして<性の力>と <笑い>はつながっていた。様々な祭りで笑いや性に関することが取り入れられているのもこのことと関係あるのだろう。

天照大御神が天の岩戸に隠れた時、天宇受売命(アメノウズメノミコト)が裸体で踊り、神々が笑ったというのも。性と一体になった笑いの力で天照大皇神を復活させることを意味しているのだろう。



私の住む地域でも祭りの担い手が居なくなることが深刻な問題である。なまはげを伝承されている地域のご苦労もよく分かる気がする。

笑ってすませろというつもりはないが、祭りの本義に免じて寛大な処置を願いたいものである。