疑え!(23日前編)

※ この項は1月23日分として書き、これに「紀香魂」が続きます。
日記の編集機能がイマイチよくわかりませんので前後しますがご了承くださいませ。


 以前、御世話になっている方に勧められて三田紀房の「ドラゴン桜」(講談社)読んだが、
昨日、コンビニに行ったらダイジェスト版の「ドラゴン桜 センター試験編」があり、再読して、改めて面白いと思った。多分この巻を読むだけでこのマンガ全体の目指すところがしっかり伝わってくると思う。


  私が一番気に入ったのはこのセリフである。

    「常識ほど疑わしいものは無い」


  劣等生が東大を受験するときまずやるべきことは参考書を買うことではなく
 
    <自分は絶対に東大には受からない.>

という自分の中の常識を疑うことである。

   先日、M-1で4239組の中からサンドウイッチマンというコンビが優勝した。
 10年近く苦労した末の優勝である。ライブを観にいった友人によるととても礼儀正しく、好感が持てた、何より面白いとのことで、こういうコンビには大いにがんばってもらいたい。何千組も出場するなかで自分達は絶対に受からない
 と思って挑戦しなかったら決して今回の結果は得られなった。


 「ドラゴン桜」は決して受験のハウツー本ではない。

例えば重い病気にかかったことを宣告されたとき


  <自分は絶対に治らない>.


 という自分の中の常識をどう処理し、乗り越えていくかが大きな鍵となる
ここでいう常識とは自分のなかにある強い思い、固定観念、決め付け、頑固さなどもろもろのものである。

 自分の常識を捨てずに、医師の言うまま、家族や友人のすすめるままに受身で治療を受けて終わったとしてそれを負けとは言わないが、果たしてそれでいいのだろうか?


 私達は自分の常識に反するものはいくらでも疑うのに、自分の常識そのものは疑わない

 
 人はどうして自分の常識を疑わないのだろうか?
 
 常識を疑うというのは自分をぶちこわすという作業が出てくるので無意識のうちにそれを避けるのかもしれない。心には間違いなく自衛本能のようなものがある。自衛本能が存在するということ自体は生物として当然である。


 常識という名の心のブレーキを外した時、人生は大きく変わり始める 
 全く違う風景が見えてくるはずである。

 そういう意味で「ドラゴン桜」は「使える本」である。
 但し、自分と周りの状況を含めて的確なアドバイスをしてくれる人物が得られるかはまた別ではあるが…