最高の聖地
沖縄で是非訪れてみたいと思ったのは本島南部の斎場御嶽(せーふぁうたき)という場所。
斎場御嶽という言葉の意味は「最高位の聖地」という意味。
すぐ手前にコンビニがありその裏手から海が臨めるようになっている。標高が高いのでなかなかの景色でした。
ここは文字どうり沖縄最高の聖地とされ、本来は身分の高い者しか入れなかったという。
沖縄の信仰では神に仕えるのは女性とされ男子禁制の聖地が少なくない。国王ですらこの場所に入いるのに袂(たもと)を女装に改めたという。
地域全体はよく保存された沖縄特有の自然林の中にあり、目立った施設や建物は殆どといっていいくらい無い。本州の神社仏閣とは随分雰囲気が違う。入り口に御門口(うじょーぐち)という場所があり聖地に入ることのできない庶民はここからこの聖地を拝んだという。
沖縄は第二次大戦の激戦地となったがこの一帯はあまり被害をうけなかったという。ただ鑑砲射撃の砲弾の後がかなり大きな池になっていて、この聖地も決して無傷ではないことが分かる。
オフシーズンのせいか人もまばらで、訪れた人も心静かにこの聖地を散策しておられるようだった。 教育委員会の方が有料でガイドをしてくださるとのことでしたが、聖地の空気を感じるには一人で歩いたほうが良いかもしれない。
この斎場御嶽の最も大切な場所は「三庫理(さんぐぅい)」という岩場で、神話開闢の島である久高島という聖なる島を拝む場所である。
昔はごく少数の限られた人間しか入ることを許されなかったと聞き、思わず心が引き締まった。その岩場に立つと聖地としての雰囲気が伝わってきた。
パワースポットを扱ったテレビを見ていると霊感が強い?というような人が出てきて「すごいパワーを感じます!」とかやっているがそういうノリにはどうもついてゆけない…
<畏敬>というような心を私達は忘れがちである。
興味本位でなく、自分の心を素にする、という意味で昔の人が大切にした場所を訪れることは大切だと思う。
そして歴史というものを文字からではなくその土地にある空気、イメージ、雰囲気、気配から知ることもとても大切だと思う。
とりわけ私のようにお寺に住んでいると宗教のイメージみたいなものがひとつに固まってしまうような感覚がある。
このように全く異なった文化の聖地へ行くことは良い意味で刺激になったように思う。
帰りがけに、「御門口」(うじょーぐち)を抜けるとき、ふと横をみると、聖地である久高島がはっきりと望まれた。案外、庶民はこの場所から久高島を拝んだのではないかという考えが浮かんだ。
その日は曇り時々雨の予報だったが、車に乗る頃には暖かい陽がさしはじめた。海の色が一気に澄んだ青い色に輝き、沖縄に来たことを実感することができた。
【斎場御嶽についてはWikipediaの記述を参考にさせて頂きました。感謝申し上げます。この聖地について詳しくお知りになりたい方はご参照ください。】
※ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%8E%E5%A0%B4%E5%BE%A1%E5%B6%BD