沙羅双樹の花の色


 朝、眼が覚めて、布団の上で座禅をしていると、窓の外で蛙の鳴く声が聞こえた。
 昨日から雪が降り続き、10センチ近く雪が積もっている。雪の中で蛙が鳴いているはずもなく、おそらく床下にいるのだろうと想像した。

 朝方、窓から見ると、庫裏の周りの木々に雪が積もっている。
 葉の落ちた樹に雪が積もっているのも面白いし、松や杉や栢など常緑の緑の葉の上に積もっているのも面白い。

 節分に合わせて、涅槃図の軸を床の間に掛けることにしている。涅槃図とはお釈迦様が亡くなられた様子を画いたものである。2月15日が入滅の日なのでそれまで掛けてある。
(あまり知られていないが掛軸といのは仕舞ったままでもよくないし、掛けたままでもよくない。)

 お釈迦様は沙羅の林の中に横たわっておられ、お供も、動物も、様々な仏達も泣き崩れている。2本が一対になった沙羅の樹が4対、8本描かれている。
 二本で一対なので沙羅双樹である。お釈迦様が亡くなられた時、枕元の2対は時ならぬ花を咲かせ、足元の2対は白く変じて枯れたといわれるが、ウチのお寺にあるのは8本の沙羅が全て白く変じて枯れている。

 平家物語の冒頭にある「沙羅双樹の花の色盛者必衰の理をあらわす」という一節は、お釈迦様が亡くなられた時に沙羅が白く変じたことを指す。
 昨年、播州にある天台宗名刹應聖寺様から「應聖寺の四季」(東方出版)という写真集を頂いた。四季折々の自然とお寺の景観が溶け合った写真は見ていて飽きることがない。この種の本を繰り返して見ることはあまりないのだが、本書は出色の存在である。散りばめられた先代住職の逸話にも心を洗われる心地がする。

 私達が自然と人間の作り上げたものとが調和して在るのを観るとき、心を動かされるのではないかという気がした。この感性は面白いと思う。自然だけ、人工物だけでは足りないのだ。

 そして、お寺や石仏のように人の手に為るものも長い時間を経ると、それらが人工のものというよりは自然のもののように感じられるという気もする。この感覚もまた面白い。

 昼近くになって、窓から見える周囲の樹には一層、雪が積もっている。
 それらはまるで白く変じた沙羅のようにも見える。

  ※http://www.tohoshuppan.co.jp/2007ho/07-11/s07-092-6.html