習いごとの話

 東京に居た頃、居合道というものを習っていたことがある。

 きっかけは偶然である。当時、様々な武道に関心があり、本を読んだり、道場に見学に行ったりしていた。ある日、近所の体育館で「居合道 見学歓迎!」というポスターを見かけたので、あまり深く考えずに稽古日に訪れ、門人らしき人に
「見学希望です」
と伝えた。すると、その門人は師範の所へ行き
「先生、入門希望者です」
と告げた。私は「やばい…」と思ったのだが、仕方なく床に正座して稽古を見ていた。稽古が終わると師範が私のところへ来くるとにっこり笑って
「入門を許可します」
と言われた…

 そういうわけで本山に上がるまで5年ほど週一回の稽古に通った。私はなにか習うことに随分の時間とお金をかけたほうだが、時々、反省することがある。

 週一回2時間の稽古を1年間続けて96時間である。ところが年始年末を休み、風邪を引いたといって休み、用事ができたといって休み、せいぜい年間70時間ほどの稽古しかしていない。一日24時間であるから、70時間=一年分の稽古というのは3日くらい必死で集中すればカバーできる内容なのではないかとも思うのである。

 その程度の稽古を5年、10年続けても意味がないとは言わないが、費やした時間や労力のわりに本当に身についたというわけにはいかないし、ましてやプロ並みの実力を養うには、どこかで本気にならないと到底おぼつかない。そのくせただ年数だけ重ねて、自分がキャリアを積んでいるという間違ったプライドだけ持ってしまったら始末におえない。

 逆に、自分が追い詰められたときに残された時間がたとえわずかでも必死でやれば道は開けるかもしれないとも思えるのである。

 今では刀(模擬刀)を振ることもないが、真言宗では刀を使う所作があり、たとえ僅かな時間でも刀の扱いを教えてもらったというのは有り難いと思う。何事も身につけるというのは本当に大変なことだと思う。