ティーポットの中の世界

burogubou2008-02-14


 昨日から続いた雪がようやく止んだ。立春を過ぎて日差しが暖かいのか、積もった雪が早くも溶け始め、溶けた雪の流れて落ちる音が聞こえる。キッチンの窓から裏手にあるカヤの樹が見える。高さが20メートル以上あり、梢に積もった雪が陽にあたって溶けて落ちると小さな滝のように見える。不思議な光景である。

 気に入っていたハリオのガラスの急須を割ってしまった。
 代わりを探していたら駅裏の平和堂で同じようなガラスのティーポットを見つけた。
 IWAKI・PIREXと書かれている。1280円也。ハリオより頑丈そうで無骨な感じである。

 
 蓋の裏が茶こしになっていて、茶葉がポットの中で自由に動く。茶葉がポットのお湯の中で動くのを ジャンピングというそうだが、そのほうがお茶の味が深くなる気がする。

 注がれたお湯の色が変化していき、茶葉が開いていくのを見るのは楽しい。
 しみじみ見ていたら家族に笑われた…

 このティーポットでお茶を入れていて<無色透明の世界>という言葉を思いついた。
 仏教というのは僧侶である私にとって大切な教えだが、このごろ感じるのは、ひとつの教えより様々な宗旨や宗派のもとになる感覚の大切さである。

 特別なものではない。自然の息吹に触れる、体を動かし汗を流して働く、家族をはじめ身の回りの人間と親しく、和やかに生きていく、世の中のことを考える、困っている人がいたら手を貸す、時には他人の間違った行いを正す…そんなことである。

 無色透明のお湯がお茶やコーヒーや紅茶などさまざまな飲みものになるように、この<無色透明>な感覚が様々な宗教や信仰や信念のベースになる。そんなことを考えた。

 考えてみれば当たり前のことだが、今の日本の社会はあまりにこの当たり前さを失っているように思う。