さだまさしの風景

遠藤浩輝氏が月刊「アフタヌーン」に連載している「EDEN」はとても優れた作品だと思って読んでいる。

何巻だったか正確に覚えていないが後書きの中で興味深いことを書いておられる。

最初、私達はAM放送を聴いているが、少し自我が目覚める頃になると意気がってFM放送を聴くようになる。そして歳を重ねると落ち着いてもう一度AM放送を聴き始める…確かそんな内容だったと思う。

もともとそんなに音楽を聴く習慣は無いが、最近は曲名とアーティスト名の区別が付かない時があってかなりヤバイ状況である(笑)


田舎暮らしはどこへ行くのにも車である。
東京に居た時は車に乗る必要がなかったが、田舎では車が必需品である。歳をとってから免許を取ったせいかいつまでたっても運転が上手くならない。

住職が10年近く乗っていた白いカローラが私の愛車である。古い車なのでCDも聞けないが、かろうじてカセットデッキが付いている。或る日、何かの拍子にさだまさしのカセットが出てきたので聞いてみた。

田舎の道を車で走るのに、さだまさしの古い歌はとても似合う気がした。
この時期は桜、梅、桃、水仙、蝋梅、菜の花、そんな花が畑や道端に咲いている。行きかう車も都会に比べれば遥かに少ない。軽トラックの割合がやたらと多いのも田舎ならではである。

 さだまさしの歌をそんなに聴いた記憶は無いのだが、聴いていると心が和む。若い頃はこの和むという感覚を拒絶していたと今になって思う。

 人生も折り返し地点を少し過ぎたところだが、この感覚が歳相応に落ち着ついたからなのか、それとも覇気を失い、悪い意味での衰退しつつあるのかそれは分からない。

 今日もカローラカセットデッキからさだまさしの歌が流れている。