日本人と<腹の力>

 本山に入ったとき、最初に唱えたお経は般若心経だった。
 道場の板の間に正座して、ひたすら大声で唱える。がんばって唱えても「声が小さい!」「腹から声を出せ!」と叱咤される。

 はじめのうちはどうしても声が出ない。特に早朝のお勤めでは身体が覚醒していないので声が思うように出ない。
 本山から一時帰省したとき、地方局でアナウンサーをしている友人がいたことを思いだして、電話した。

 「アナウンサーは何かいい声を出す秘訣みたいなのを習わないの?」
 「…そういえば、先輩から言われたことがある」
 「是非、教えて!」
 「確か『腹から声を出せ』だった」
 「…」

 腹から声を出すというのは多分、とても大切なことにつながっていると思う。


 仏像などもとてもふくよかでお腹が張っているし、中国などの古い絵画にも立派なお腹をした人物がよく描かれる。決してメタボなどではない…

 先日、妹が甥や姪を連れて遊びに来た。
 4歳の姪が兄と喧嘩して、泣きながら家に入ってきて、台所の床に転がって大声で泣き始めた。それがもの凄く大きな泣き声なのである!泣き声は狭い庫裏に響き渡った。その時、私が感じたのは「腹から声が出てる!」ということである。子供は本来そうしたお腹の力を使えるらしい。

 29日付産経新聞の13面のコラム「正論」は「昭和の日に日本民族を思う」である。

 東京工業大学名誉教授の芳賀綏氏が高度経済成長と平行した精神の空白化が、体力、気力の衰退を伴っていたことを論じ、<呼吸の浅さ>、<腹から出ない声>、<身体の脆弱化>などを指摘されているが、私が付け加えるとしたら<重心の不安定化>、<身体の慢性的なこわばり>が上げられる。

 近年は日本人の心と身体を結びつけて論じる人が多くなった。
このことは大変喜ばしいと思う。また宗教というのは本来、膨大で奥の深い身体文化を伴うものだと思う。もちろん仏教も例外ではない。

 昔の日本には強靭な<腹>の身体文化があった。
 多くの日本人がそのことに気付き、かっての日本民族の心と身体を少しでも取り戻してほしいと思う。