お坊さんの本音トーク


昨日は久しぶりにアニメが観たくなり、レンタルシヨップ「KUNI太郎」で「ベクシル  2077日本鎖国」というのを借りてみたが…う〜ん…久々に「攻殻機動隊」が見たくなった。

本日も境内の草刈。
境内に住職に好きな姥百合が芽を出しているのでそれを避けて草を刈るのが大変。姥百合の小さい葉は蕗と殆ど区別が付かないのである。顔をガードするためにバイザーを付けているから尚更見にくい。高速で回転しているロープで草を刈っているので、「しまった!」と思ったときはもう手遅れ…

仕事が一区切りついて手を止めると、さわさわと風が吹いてきた。

境内の奥は福井県まで人家が無い。人の気配に触れない、山を吹き渡ってくる風は格別。
風の「一番絞り」である。

 境内を埋めつくすもみじの新緑が心地良い。
 私にとってのベスト・シーズンである。
 人はもみじというと紅葉をイメージするが、新緑のもみじは本当に美しい。
 1週間以上雨が降っていないが雨に打たれる新緑ももみじも格別。

 最近、外仕事に飽きてきたので、雨が降ることを密かに望んでいる。



 親しい友人に言わせるとお坊さんというのはよく分からない職業だし、なんか近寄りがたいそうである。確かにお坊さんに逢うといえば、お葬式、法事、お盆くらいしかないという方も多いだろう。

今日の仏教についていろいろと毀誉褒貶があるが、仏教側からのメッセージの発信が足りないという指摘はいろんな方から頂く。そのためにも、HPやブログを立ち上げて、ごくささやかだが、情報発信を心がけたいと思っている。

もちろん情報発信というとHPやブログばかりではない。ウチの住職は人前に出て話たりするのは大の苦手だが、とにかく人一倍働く。人一倍掃除をする。一緒に働く我々が音を上げるくらい体を動かす人である。それもまた布教のひとつだとは常々、住職の語るところである。我が親ながら間違っていないと私も思う。

江戸時代に檀家制度ができてお坊さんというのはお役人の手先になったということがこれまで信じられてきた。これがどれくらい事実にもとづくかいずれ調べてみたいと思っている。

世の中には<江戸時代お坊さん=役人の手先>という固定観念をどうしても捨てきれない人が大勢いる。


お盆には棚行というのが行われる。
お坊さんが檀家さんの家を回ってお経を上げるのだが、以前、読んだ本に棚行の由来というのは、お役人の手先になったお坊さんが檀家さんの家を一軒づつ上がりこんでチエックし、棚の中におかしな物を隠していないか調べた…みたいなことが書いてあって、大笑いしたことがある。

昔はお盆になると、縁側に精霊棚という棚を作って祖先の霊や無縁仏にお供えものをした。
その棚を拝んだのが棚行である。祖父の頃は家に上がらずに縁側の精霊棚だけを拝むのが普通だったようである。今でも、数は減ったが精霊棚を設けているところが時々ある。
精霊棚が省略され、仏壇を拝むようになったのが今日の棚行の標準的な形となった。ただそれだけである。

檀家制度は切支丹対策の為に作られたという説が有力である。これについても検証が必要だろう。そもそも切支丹と言われたのはどのような人達だったろうか。

以前、九州の或るお坊さんとお話する機会があった。
その方の居られる地域では江戸時代以前のお寺が全くないそうである。その理由は切支丹によって全て焼き討ちにあったというのである!


江戸時代の切支丹というと小説やドラマではとてもピュアでただ信仰の自由に生きた人達として描かれる。間違っても、暴力的で過激な集団として描かれたものを見聞したことがない。

とにかく幕府という権力が絶対悪で、切支丹は可哀相な人達という見方については全く間違いとは言わないが、やはりきちんとした検証が必要だろう。

事実に基づいて考えるというのはとても難しい。
 
 お坊さんにも言い分がある。