お寺の変遷あれこれ

 私の住む舞鶴のお寺は殆どが禅宗である。

 ところがいろいろ調べてみると現在禅宗のお寺でもかっては違う宗派だったと考えられるお寺が少なくない。
 いろんなことを手掛かりに推理することはとても楽しい作業である。
 例えば「瑠璃光寺」という禅宗のお寺があったら、「瑠璃光」というのは薬師如来にかかわる言葉なので、もとは薬師如来をお祀りした真言宗のお寺だったのではないか…などと考えるわけである。

 私の居るお寺は現在は真言宗だが、本尊の波切不動明王を作られた方は比叡山のお坊さんで、かっては天台宗とつながり深かったようなのである。
 ちなみに兼務しているお寺のうちひとつは仏像の配置が天台宗の様式だし、もう一ケ寺は開祖が最澄という伝説もある。どうもこの地域は一時期、天台宗の勢いが強かったようなのである。

 ところが現在は天台宗のお寺は無住のお寺が一ケ寺あるだけである。
 つまり一時期、勢力のあった天台宗のお寺がなんらかの理由で衰退していったと考えられるのである。 いったいどのような変遷があったのか興味深いところである。


 本日は禅宗のお寺の落慶式に招かれた。
 ここのお寺には大日如来をおまつりしたお堂があって、その改修工事の完成を祝う行事が行われたのである。
 本来、大日如来というのは真言宗の根本仏である。
 しかもおまつりされている大日如来様というのが本山クラスにあるような巨大な仏像である。さらに印の組み方は大日如来の印ではなく阿弥陀様の印を結んでおられる。
 とても興味深い存在である。このお寺のご住職は地域の歴史に造詣が深い方なのでいろいろと話がはずんだ。

 最近はお寺という存在が長い歴史の中で変遷を繰り返しながら守り続けられてきたのだと実感することが多い。
 今日招かれたお寺でも地域の子供が少なくなって行事を続けていくことが難しいという話題が出た。
 地方のお寺は少子化、過疎化、高齢化などでお寺に担い手が急速に減っている。
 そんな時代、どのようにお寺を守り、仏教を伝えていくかは、大きな課題であると痛感している。