想像する力

 山寺にはテレビが無いので時々、映像が見たくなる。

 昨日はレンタルショップ「KUNI太郎」にて「幸せの力」「稲川淳二の怪談伝説!3」「ミュンヘン」を借りた。
 借りたかった「エイリアンVSプレデター2」「バイオハザード3」は在庫が無かった…

 映画の続編が作られても、第一作以上の出来ばえになることは殆どないような気がする。
 例外的に好きなのは「エイリアン2」と「ターミネーター2」である。
 どちらもジェームズ・キャメロンの作品なので、監督の手柄かもしれない。

「エイリアン」はSFとホラーの融合した感覚がとても好きである。全体に漂うじめっとした陰鬱な感じが素晴らしい。
「エイリアン2」はホラーというより戦争映画に近いだろう。エイリアンと戦うのが新米の上官とベテランの兵士という組み合わせが絶妙だと思う。
 やはり第一作を越えたのではないかと思えるのは「ターミネーター2」である。
 こんなことを書いていたらまた観たくなった…

 稲川淳二氏の怪談はとても面白い。
 最近は少しパターン化している感じがするが(笑)、やはり他人に真似のできない境地?を感じる。
 初めて、テレビで稲川淳二氏の怪談を観たのは大学生の夏休みである。
 夏休みに中学校の警備員のアルバイトをしていて、深夜、誰も居ない中学校の宿直室という、怪談にぴったりのシチュエーションだった。その後、校内を巡回するのが怖かったこと…
 やはり比較的初期の「長い遺体」「ゆきちゃん」「生き人形」などは名作だろう。

 何が一番怖いかというと多分、自分自身の想像力なのだと思う。
「白い着物を着た女の人」と聴くと、皆、百人百様の想像をする。それも多分、自分にとって一番怖いように…想像力をかきたてるように話すというのはとても難しいことなのだと思う。仕事がら人前で話しをしないといけないことも多いのでその点でも勉強になる(笑)
 
 映画というのは人間の想像力を刺激する力をもっているのだと思わずにはいられない。多分、恐怖というのは人間の想像力と深く結びついて存在しているような気がする。

 最近はJホラーの名称で日本のホラー映画が海外で評価されるようになった。
 恐怖に対する感覚にも国民性があるのかもしれない。

 少々話が飛ぶが、関東では友引の日にはお葬式をしないという慣例がある。
 私はこの習慣は迷信だと思っている。亡くなった方が残された家族や親族の幸せを願いこそすれ、道連れにするというのはどう考えてもヘンである。

 友引のお葬式が避けられるようになった理由のひとつは死んだ後どうなるかということが分からないために余計なことを想像してしまうからではないだろうか。

 私達は眼に見える世界だけでなく、自分の作り上げたイメージや想像にかなりどっぷりひたって生きている。それは私達に歓びを与えてくれることもあるが重荷になることもある。