苗のある風景

周囲にある殆どの田んぼで田植えが終わった。
小さな、緑の苗が整然と植えられている姿は美しい。

風が吹くと、水面にちいさな漣(さざなみ)が立つ。
縮緬(ちりめん)織りのような小さな波に日光が当ると、光が散乱する。
それを見ていると気持ちが和らぐ。

車で田んぼの横を通った時、一人の年配の檀家さんが腰に手を当てて、じっと田植えの終わった田んぼを見ていた。どんな気持ちだろうかと想像すると楽しかった。

今日は昼前から久しぶりの雨。
雨に打たれると苗の緑が一層鮮やかになる。
苗は雨に打たれて、小さく揺れていた。

昨日、街に買い物に出かけたが、国道は工事で渋滞していた。
道路の横は一面の田んぼだった。
農道には所々に白い軽トラックが止まっていて、何人かが作業していた。
その横を2両で編成したJRの車両が線路を通過した。
何ということの無い風景だが、心惹かれた。

子供の頃、江戸時代のお百姓さんは自分達が作ったお米は一粒も食べられず、全部、税金として取り上げられていたと教えられた。
江戸時代は灌漑技術、品種改良、農具、栽培技術などの面で長足の進歩を遂げた時代である。そして人口の9割を占める農民の作った米は莫大な量である。
人口比率にして僅かしかいない武士や町人だけでそれらの米を全て消費していたとは考えられない。やはりかなりの部分を食べていたのではないだろうか。
もっとも、住職に聞くと昔の農家は貧しかったし、重労働で大変だったそうである。
江戸時代なら尚更だろう。決して暮らしが楽であったとは思えない。

田んぼに苗の並ぶ風景だけは今日も江戸時代も大きく違わなかっただろうと思う。
雨に打たれる苗を見ながらそんなことを考えた。