山岸涼子「白眼子」

先日は中古本ショップ復活書房にてマンガを2冊。

「Tale of Rose Knightばら物語 Vol1」滝沢聖峰大日本絵画
「白眼子」山岸涼子(潮漫画文庫)

「ばら物語」の作者は初見である。舞台は中世ヨーロッパ。戦闘場面が非常に写実的で気になったので購入。作者は第二次大戦の戦記物が専門の方らしいことが判明して納得した。「剣と甲冑はあるが魔法と竜はない。そんな世界を描きたかった」と後書きにある。絵も硬質で綺麗だが、少しストーリーの分かりにくいのが難点か。

山岸涼子さんはとても好きな漫画家の一人である。

まず絵が好きである。
習字の先生に、カッターで重ねた紙の一番上だけを切るようなつもりで字を書きなさいといわれたことがある。山岸涼子さんの細くて強い線を見ているとそんな言葉を思い出す。

眼視子(はくがんし)とはいわゆる霊能者的な仕事を生業とした人物の名前である。
霊能者といっても華々しく活躍することなく、細々と市井の片隅で暮らし、消えていった人物である。実在のモデルがあるようにも思うが言及はされていない。

主人公はこの白眼子に拾われ、その身の回りの世話をした少女である。
主人公もどちらかといえば平凡であり、むしろ薄幸と言っていい女性。

<特別な能力を持った人間はそれと引き換えに大切なものを失う>
これは山岸氏が長年、繰り返し書き続けている、ひとつのテーマであると思う。
その欠落を補うのが一見、平凡で無能に見える人物との交流であることが多い。
白眼子は特異な才能を持つ反面、盲目である。そして主人公との心の交流によって人間らしい潤いを得る。
 山岸氏の作品のうち長編では「日出処天子」、短編では「海の魚鱗宮」が好きだが、「日出処天子」の厩戸皇子と毛人の関係がまさにこれに当たる。
 普通のマンガでは特別な才能を得ることが正に大きなテーマになるが、特別な才能を得ることが同時に大きなものを失うというテーマは、山岸氏の作品に深みを与えているように思う。
 山岸氏のもうひとつのテーマは<恐怖>だが、恐怖の対象は恐ろしい未知の存在というよりは人間の中に潜むものであることが多い。多くの場合、<恐怖>と<悲しみ>はひとつのものとして描かれる。
 相変わらずのホラーブームだが、深みのある恐怖を与えてくれる作品は少ないように思う。

 作家と呼ばれる人達は多くの場合、ひとつのテーマについて形を変えて書き続けることがある。
 琴線に触れるという言葉があるが、作者にとっての琴線が奏でる音を聞くことが読者の愉しみのひとつかもしれない。

【余談】
 随分、昔のことだがNHK聖徳太子を主人公にした特別ドラマが放送されたが、「日出処天子」にそっくりの場面があったが、どう考えても真似したとしか思えない…
 大河ドラマ「武蔵」でも第一話が黒澤明の「七人の侍」の冒頭のエピソードにそっくりという批判があったが、後半でも石森正太郎の「化粧師」にそっくりの部分があった。最近、テレビドラマではマンガを模倣した設定や登場人物が多いが、安易に模倣ばかりしていると、本当に内容の無い作品ばかりになるのではないかと少々心配である…