寺観の話

【27日にHPを更新しました。宜しければ御笑覧下さいませ
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兼務しているある山寺で、それまで田んぼとして人に貸していた土地を返して貰ったので、池にすることになった。なぜ池にするかというと普通の土地として放置しておくとものすごく雑草が生えるからである。
かなり広い土地なので大きな池ができたら、沢山の蓮を植えようとか、石組みで梵字を作ってみようとか※、いろいろ考えていたのだが、久しぶりに様子を見に行ったら一面稲の苗が植えられていた!予想外の出来事に思わずがっくりと脱力した…
住職の仕業らしかった。時々、コソコソ出掛けていくので怪しいと思っていたのだが、檀家さんに頼んで稲の苗を植えたらしかった。怒る気力も無くなって帰ってきたが、広大な蓮池を作るという計画は文字どうり水泡に帰した…

寺観というのはお寺の景観というほどの意味だが、寺観を整えるというのはやはりとても大切だと思う。

車で40分ほどの綾部というところにある或るお寺は、お寺の前に大きな池があり、4月頃になると池の横にある小高い丘に沢山のミツバツツジが咲き乱れる。ミツバツツジだけでも美しいのに、その色が大きな池に映える様はちょっと言葉では言い表せない…

このお寺を参拝した帰り、すぐ近くにある大本教の本部も見学させて頂いた。
実に丹精に手入れされており、巨大な神殿と周囲を取り巻く庭園は巨大なパノラマのようだった。そして、清清しい松の香りが境内に立ち込めていた。
大本教は日本の宗教史上、特異な存在であるが、境内の美しさは特筆すべきだと思った。

参拝にこられた方はやはりお寺そのものの景観から何かのメッセージを受け取られることが多い。その意味でも、来て頂いた方に何かを感じて頂けるようなお寺にしたいものだといつも思う。

※「水底にラン字あり」「水底にバン字あり」などの言葉が真言密教にあるので、池の底に石組みで「ラン」「バン」などの梵字を描く予定だったのだが…