教頭先生のため息

私は小学校で警備員のアルバイトを長い間していた。
 その時、つくづく感じたことは教頭先生という役職の大変さだった。

学校に掛かってくる電話を最初にとるのは大抵、教頭先生である。電話の応対だけではなく、とにかくありとあらゆる問題、重要な案件から、校舎の電球が切れた相談までが教頭先生のところへ持ち込まれる。本当にご苦労な仕事だと思った。

 随分、大勢の教頭先生のもとで働いたが、皆、真面目で良い方ばかりだった。忍耐強く、勤勉というのが私の中での教頭先生の印象である。

 仕事を終えた先生方は警備員室の隣にある更衣室に寄ってから下校する。
 私が最も尊敬していたある教頭先生は、いつも遅くまで残って仕事をされていたが、更衣室の前に来るといつも大きなため息をついた。それがすぐ隣の警備員室にいる私にも聞こえるような深いため息だった。本当に疲れ果て、ようやく今日一日が終わったというしみじみとした実感が伝わってくるようなため息であった。時には「…疲れた」というつぶやきまで聞こえた。それでも帰り際にはにこやかな顔で私に挨拶して帰られるのが常の姿だった。…幸い、この方は何年かして校長先生に昇格されたので、私も人事ながらとても嬉しかったのを覚えている。

 一方、テレビドラマに出てくる教頭先生というのはしばしば校長にへつらう、腰巾着のような人物として描かれることが多い。
 現実とドラマのイメージには随分隔たりがある気がする。

 夏目漱石の「坊ちゃん」に教頭の赤シャツと野太鼓という人物が出てくる。赤シャツは俗物でキザ、野太鼓は愛想を振りまく調子者である。両方とも鼻持ちなら無い人物として描かれるが、どうもドラマに出てくる教頭先生の人物像は「坊ちゃん」の影響が大きいように思う。この二人の登場人物、特に野太鼓を投影したのがドラマの中の教頭先生ではないかという気がしている。
 「坊ちゃん」は漱石の作品の中でも完成度の高いものであり、笑いを文学に取り入れた点でも近代文学史上、特筆すべき作品だと思っているが、まさか漱石も後世にそんな影響を与えるとは思いもしなかっただろうが…

 そういえばテレビドラマなどに出てくるお坊さんのイメージというのもかなり固定されているのではないだろうか?
 高齢のお坊さんは<とにかく有難い立派な人>で中高年のお坊さんは<むっつり助平で俗物の生臭坊主>という傾向があるように思うがするが気のせいだろうか?(笑)

 世間のイメージは必ずしも正しいとは限らないと思う…