快慶の掌

burogubou2008-06-06

一昨日は山口県から仁王像の研究をされている方がお寺に来られた。
出版社から事前の連絡はあったが、年配の方だと思い込んでいたら私と同年代の方だった。

全国の仁王像をテーマにした新書本を出版するので、お寺にある仁王像を取材したいとのことである。これまで。新書版の仁王像の本は出版されたことがないそうである。丁度、仕事が入っていなかったので、じっくり時間をかけてお話を伺うことができた。その道の専門家から丁寧にレクチャーしてもらえるというのはまたとない機会である。気さくで親切な方だったので、貴重なお話を沢山伺うことができた。


仏像というのは以下の4つのグループに分けられることが多い。

如来阿弥陀如来、釈迦如来薬師如来など
【菩薩】観音菩薩弥勒菩薩など
明王不動明王愛染明王など
【天部】毘沙門天、弁財天、四天王など


仁王さんというのは天部に属する。
ところがこの天部の仏様はこれまでどちらかといえば低く評価され、殆ど研究されてこなかったという経緯がある。
だが天部の仏様というのは様々な種類があり、とても個性的である。
特に鎌倉期の天部像は、その造形の素晴らしさからいっても出色である。
マンガでいえば劇画的な面白さがある。

研究者の方はギリシャ彫刻も素晴らしいが、表情に乏しいものが多く、日本の天部像は怒りなどの生き生きした表情を芸術の域に高めた素晴らしいものだと、絶賛しておられた。

この研究者の方は全国の仁王像を調査されているのだが、ある仁王像の顔は眉、鼻、顎などに木目が浮き上がっていたという。仏師は素材を選ぶとき明らかに、木目を意識しているとのこと。

ウチのお寺には快慶の作った深沙大将という彫像がある。この像は右の掌を広げて立っているのだが、指摘されて良く見るとこの仏像の掌にも明らかに、木目が掌紋のように走っているのである。
他の部分はそうでもないのに、この掌だけが激しく摩滅したように、木目が浮き上がって、指も欠けている。
彫像は、上から色彩を施すので木目は隠れてしまうことが多い。ではなぜ仏師は木目を生かすことに拘ったのだろうか…不思議としかいいようがない…

幾つかの理由が考えられる。
木目のあるほうが強度などの関係で素材として都合が良かった。
製作者の好みや拘りの問題。
色彩の剥げた後、後世の鑑賞者に木目を見せるための<遊び心>。
素材から像の形のインスピレーションを得た。

 研究者の方はこの掌の部分の素材を見つけたときに、掌に合うように、像全体の大きさを決めて作ったのではないか、とまで推理されていた。だが、この像は執金剛神というもう一体の像と一対なので、それはどうかと思うが…

 とにかく興味深いお話を沢山伺うことができた。
 一体、仏師達ははどのような想いで仏像を製作したのか、想像は尽きることが無い。