的を射た話

 
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 真言宗天台宗など密教系の宗派には柴燈護摩という行事がある。
 屋外に炉を組んで、薪木を燃やし、所願成就を祈祷する大掛かりな行事である。
 これにはいろいろな作法がある。
 刀で空を切って邪を払う宝剣、塩を撒いて場を清める塩払い、6つの方角に矢を射る宝弓などいろいろな作法もある。

 近くの大きなお寺で毎年、この柴燈護摩が行われるのだが、一昨年はこの宝弓を依頼された。
 ふつうの人間なら弓を射るという機会はまずない。
 私もよく分からないままに境内で練習していたら、お参りに見えた方から指摘を受けた。「弓のつるが反対ですよ」と言われたのだ…よく分からないのだが、弓を保存するために通常と反対側につるが張ってあったらしい。悲しいかな素人ではそんなことすらも分からない。

 さすがにこのままではマズイと思っていたら、市営の弓道場で入門講座(全10回)があったので受講した。人口10万人ほど小さな町だが、本格的な弓道場があったのだ。
 弓道場に初めて入った時に少し驚いた。その場の空気というか雰囲気がとても良いのである。
 場所の空気というのはとても不思議である。
 以前、賽銭泥棒の被害に逢った時に、調書を取ってもらうために警察の取調室に入ったことがある。外見は普通の部屋なのだが、そこにいると何か殺伐とした、重い、ギスギスした空気が漂っているのが感じられた。その場所で行われることというのはその場の空気や雰囲気に反映してくるのである。これはなかなか興味深いことである。

 弓を射るために集中したり、気持ちを落ち着けたりするということを繰り返している弓道場というのは、その場の空気も緊張感とリラックスの混じったとても気持ちの良いものである。少し座禅道場に似たかんじである。ここで座禅したら気持ちいいかもしれないと思ったりした。

 弓道場で指導して頂いたお陰で、矢は飛ぶようになったが、本番では矢が飛びすぎて半分くらい回収不能になった。本来は参詣の方が矢を拾って縁起物として持ち帰るものなのだが、調子に乗って遠くに飛ばしすぎてしまったのだ。なかでも一本の矢は巨大な本堂の大屋根に引っかかり、消化栓で放水してようやく下に落として回収するという騒ぎになった。

 今年も弓道の入門講座があるので参加した。
 2回目なので少しは余裕がある。矢が的に当たるとかなり気持ちが良いものである。一回当たるだけで一日のストレスが10%くらい消える気がする(笑)
 ちなみに「的を得た」という表現は誤用だそうである。
 「的を射た」「当を得る」という2つの表現を混用してしまったそうである。