法要 IN 比叡山

burogubou2008-06-27

 兼務しているお寺に薬師如来様をご本尊としているお寺があり、西国薬師霊場という霊場会に入っている。
 本日は霊場会ができて20周年の記念法要が比叡山で行われ、住職の代理で出席した。


 山寺から比叡山は遠い。
 というわけで昨日は妻の実家に泊めてもらい、早朝に出発した。装束や着替えを入れるとカバンは2個。10キロの荷物である。重い…比叡山に行くつもりで「比叡平行き」のバスに乗ったら、私の僧衣を見た運転手さんが、親切にも比叡山行きと比叡平行きは違うと忠告してくれた。危ないところだった…


 比叡山に着くと、山の冷気がひんやりと身に沁みた。
 開山された頃は文字通り深山幽谷の地だったに違いないが、今日では伽藍は非常に整備されている。6月でもストーブの要る寒い日があるそうである。


 受付で記念品として渡された包みを妻に託して、会所(「えしょ」集合場所)である書院に向かう。
 どの寺院も檀家さんを連れて来ているが私と同行したのは妻一人だけである。

 書院の大広間に通され、手入れされた庭園を見ながら座っていると、遠くから鐘の音が響いてくる。なかなか良い雰囲気…と思ったのもつかの間、先ほどの記念品の中身が本日の法要で使うお経の本だったことに気がついた。
 山内は携帯が使えず、広い境内で妻を探し出すことは不可能と気づいていきなりブルーなモードへ突入…


 霊場に加入しているお寺は49カ寺もある。
 それまで黒衣だった住職方が一斉に装束に着替えると、色とりどりの衣や袈裟が並ぶ。紫、緋、白、紺、浅黄、緑、草色…繚乱である。多くの宗派が集っているので袈裟や衣の形も様々である。

 雅楽の流れる中、お薬師様を祀った根本中堂に進列し、天台座主睨下を導師にして法要を行った。
 50人に及ぶ読経はとても厳かだった。

 閉式後、宿坊である比叡山会館の大広間で昼食。宿坊といってもホテル並みの設備である。
 大広間で精進料理のお弁当を頂き、妻と「美味しいねえ」などと言いながら喜んで食べていると、「それでは食前観(食前のお祈り)をします」とのアナウンス…フライングして食べていたことが判明。

 ようやく法要が終わり、山頂のガーデンミュージアムに行こうとバスに乗ったのだが、カバンを一個バス停に忘れてしまい、結局、ガーデンミュージアムの入り口でUターンする羽目に。カバンがバス停で見つかったのは幸いだった。

 山内に最澄様の残された和歌が記してあった

   阿耨多羅(あのくたら) 三みやく三菩提(さんぼだい)の仏たち 我が立つ杣(そま)に 冥加(みやうが)あらせたまへ

最澄という方を空海様と比較して「器の小さい秀才」というような批評をする人がいるが、間違いなく傑出した存在であると思う。
何より鎌倉仏教をリードした傑僧の多くが比叡山に学んでいる。その後も比叡山は常に日本の仏教の中心地であり続けたが、やはり最澄という方の偉大さに負うところが大きいように思う。
是非、比叡山を再訪したいと思った。

【追記】
和歌については下記を参照にさせて頂きました。深謝申し上げます。

http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/saityou.html