芭蕉の耳
閑さや 岩にしみいる 蝉の声
山寺で蝉の声を聞くと、時々、この芭蕉の句が頭に浮かぶ。
いったい「岩にしみいる」とはどんな音なのだろうか…
ネットで調べていたら芭蕉のデータベース的なサイトを発見した。
便利な時代である。
http://www.bashouan.com/psBashou.htm
この句は山形県の立石寺(りっしゃくじ)で詠まれた。
立石寺は「山寺」の通称を持ち、堂々たる伽藍が広がる名刹である。
しかもこの地域は奇岩怪石の地として有名で、不思議な形の岩がそそりたっている。
材質の柔らかく、沢山の穴の開いた岩肌に反響すると、音がまさにしみこむような感覚を受けるのだという。
人口に膾炙した名句や名詩は調べてみると、以外な背景が見つかることがあって面白い。
この名句も蝉はどんな種類か?とか蝉の数は単数か複数化?などなどの議論があるようである。
http://www.bashouan.com/psSemi.htm
閑寂というと音の無い風景を想像するが、おそらくは静かで広大な伽藍をみたす無数の蝉の声に芭蕉が心を動かされたと思いいたいがいかがだろうか。
一方で全くの無音の世界に突然、一匹の蝉が鳴き、その声が岩にしみ込むように消えるとまた無音の世界が広がる…これもまた愉しい想像である。「しみいって」蝉の声が終わってしまうのか、それともなき続けているのか…考え出すとキリがない、そしてそこに際限の無い面白さがある。
この立石寺は天台宗の高僧である慈覚大師(円仁)が立石寺の岩窟に入定しているという伝説の地である。
芭蕉翁が岩にしみった蝉の声が入定された自覚大師の耳に届いていることを想像していたらちょっと愉しいと思う。