夏の詩

 いつのまにか梅雨が明け、暑い日が続く。
 飼っていたコーギー犬熱中症で人事不省となり入院。
 点滴を受けてようやく回復した。
 体からダニが100匹以上出てきたとかで、動物病院の中で隔離病棟?みたいなところに収容されるは、引き取りに行って受付で治療費を払っていると、いきなりカウンターの横で放尿をしはじめるは…なかなか愛犬の世話も大変である。


 今朝、眼を覚ますと網戸越しに朝の冷風が入ってきた。
 寝床の中で気持ちのいい風を浴びながら、蝉の声や鳥の声を聞いているうちに、昨日ブログに書いた芭蕉の句を思い出した。

           閑けさや  岩にしみいる  蝉の声

 やはり全山を覆う蝉の声があって、その声の中に芭蕉は閑寂を音として聞いたのだと。改めて思った。

 「しみいる」とは、岩にしみいるように感じられたと同時に、芭蕉の心にもしみいったのだと思う。言い換えれば、句の作られた立 石寺(りっしゃくじ)の境内と芭蕉の心はひとつになっていたのだろう。芭蕉は素敵である。

 「閑けさ」「しみいる」「蝉」…サ行の音が連なっているので芭蕉の耳には多分蝉の声はサ行の清音で聞こえたに違いないと私は想像しているのだがどうだろうか。


 今日は毎月一軒だけある月参りの日だったが、ガソリンが切れていたのでコスモ石油のスタンドで給油した。
 レシートにこんな文章が書いてあった

 君の青い車で海に行こ
 置いてきた何かを見に


 そんなにいい文章とも思えないが、ちょっと気が利いている。
 ガソリン高騰への怒りが3%くらい収まった。

 時々、良い詩文を読みたくなる。
 漢詩や訳詩にももちろんいいのがある。
 ただ、現代詩の一部は音韻やリズム、言葉の美しさを失って明らかにメッセージになりつつある。

 産経新聞は全国紙の中では一番まともだと思うが、一面に載っている詩「朝の詩」は頂けないものが多い。どう見てもメッセージであって私の基準では詩と思えないものがある。なんとかならないかなあ…
 産経らしいといわれればそれまでだが(笑)

 月参りの後、兼務している山寺へ留守番に行った。
 曲がりくねった山路を車で走っていると山頭火の句が浮かんだ

  わけいっても わけいっても  青い山