モビルスーツのみる夢 

 

今日は所要で京都市内へ
真昼の市街は熱風が吹いていて、暑さに言葉を失った。市街では夜中まで熱気に包まれているという。
先ほど、ようやく山寺に帰り着いたが、日が暮れれば僅かでも爽やかな風を感じられることがいかにありがたいか身に沁みた。

京都駅の裏手の八条口にはアバンティという複合ビルがあり、その中のブックセンターとユニクロで買い物をした。

ユニクロでは最近、アニメや漫画のイラストのTシャツを販売している。
一番手前にガンダム柄のTシャツが沢山置かれてあった。安かったので買いたかったが、さすがにこの歳では違和感が大きすぎるので止めた…

最近、ガンダムシリーズのアニメを何本かレンタルで借りていて、ちょうど京都行きのバスの中で考えたことがあった。

ガンダムシリーズではモビルスーツという人間のような外見の兵器が大きな役割を果たす。
このモビルスーツが宇宙空間を自由に疾駆しているのをみると、なんともいえない快感を感じることがある。幼稚といわれればそれまでだが(笑)…

モビルスーツという人間の搭乗した兵器が宇宙空間の中を自由に移動しているのをみていると、あたかも人間そのものが宇宙空間を自由に移動しているように錯覚しているのではないか…そんなことを考えた。

それは人間が宇宙船のような<乗り物>に乗って宇宙空間を移動するのとはかなり違う意味を持つように思う。

人間の感性の中には重力から開放され、宇宙の中で自由を獲得することに対する欲求のようなものが存在するのではないかと思った。

まったくの妄想かもしれないが、この考えは少し面白いと思った。

「宇」という言葉は空間の広がりを示し、「宙」は時間の広がりを示すそうである。
宇宙全体から見れば、人間の命は余りにも儚いが、人間はイマジネーションや直感を通じて宇宙を把握しようと努めてきた。
モビルスーツという発想の中にも案外、大切で深いものが隠れているかもしれないとおもった。