ガンダム   覚醒と進化の物語

 

全話を見たのはファーストガンダムだけだから筋金入りのガンダムファンという訳ではない。だが、ガンダムシリーズのアニメを観ると時々、いろんなことを考える。

ひとつにはガンダムが<覚醒と進化>をひとつの大きなテーマにしているらしいということである。
(製作者がこのことをどのくらい意図しているかということとはこの際、別問題である点…かなり偶然の要素が多いと思う)

第1点。この物語は人類が地上を離れてコロニーと呼ばれる宇宙植民地での生活を開始した時代の物語であり、人類が<地球的環境>という制約を離れて、<宇宙的環境>に育まれはじめた時代を物語の大きな前史として存在している点である。

<地球的環境>から人類が離脱することはいずれ私達が遠からず経験するであろうことである。
その結果、人類の意識や身体や認識にどのような変化がおきるのであろうか…
これは極めて興味深いことである。そしてこの問題は仏教というものと少なからず関係がある。なぜなら仏教は意識の変容が大きなテーマだからである。座禅や滝行といったいわゆる修行も意識変容のひとつの手段である。人類が<地球的環境>を離れたとき、巨大な意識の変容が訪れることは想像に難くない。望むと否とに関わらず、人間が全く新しい環境下におかれることは、人間の心と身体に大きな変化をもたらすことだろう。

第2点。この時代でも人間が依然として戦争という行為を引き続き行っている。
その中でジオン公国の開発したモビルスーツという兵器が戦局に決定的な意味をもつようになり、対する地球連邦もガンダムに代表されるモビルスーツの開発の途上にある。

従来の兵器は多くの場合、モビルスーツに全く拮抗することができない。
ガンダムのサイドストーリーはモビルスーツという新しい兵器の登場により、人類が永らく行ってきた戦闘の様相が大きく変化しつつあることにある。

第3点。ガンダムは主人公であるアムロ・レイという少年が、大人になるという物語である。
そしてホワイトベースと呼ばれる艦艇に集まった臨時的な非正規軍としての集団が正規の兵士として成長していく物語でもある。
このメンバー全体が精神的、肉体的に大きな変化を遂げていくのである。

第4点。アムロ・レイはじめとするニュータイプという人類が出現することを描写していることである。
当初は戦闘における直感や反射といった、戦闘下での意識の変化が、やがて、人類をより高所から俯瞰するがごとき意識につながっていく。カツ、キツ、レッカのような子供達がすでにニュータイプとしての意識を発現させつつあることを示して、ファーストガンダムは終わるが、極めて暗示的といえるだろう。

古い文学用語に<ポリフォニー>というのがあるが、<覚醒と進化>というテーマが様々な局面で重なり合い、響きあうことがガンダムの魅力のひとつかもしれない。