甘露法雨

 今日は兼務している山寺で留守番である。

 お盆に備えて境内の落ち葉を掃いていると、空が翳りはじめた。

 本堂の前にある寺務所を見ると、裏手から白い煙のようなものが立ち上っているので、火事かと思い、驚いてよく見ると靄(もや)だった。このお寺は海抜300メートルほどのところにあるので、普段は眼下に舞鶴湾を見下ろせるのだが、天候が崩れると、視界は白い靄に覆われる。

 昼前になって本格的に雨が降ってきた。
 まとまった雨が何週間も降っていなかったので、心が湧きあがるような嬉しさを感じた。

 植物にとっては一時的な豪雨より、しっとりと降り続く雨でないとしっかり水分を摂ることができない。畑の作物も、野山の草木も喜んでいるに違いない。


 外での仕事ができないので、寺務所に入って畳の部屋で仰向けに寝転んで、天井を見ながら、雨音を聞いていると、心に沁みるような快さを感じた。
 雨音がこれほど気持ちの良いものだったとは久しぶりの体験である。

 木立が深いせいか、雨に混じって蝉の声も聞こえる。

 夕方になってようやく雨が止んだ。寺務所を出て駐車場へ歩きながら、濡れた地面を歩くのが嬉しかった。軽トラックに積んでいた道具箱にも10センチほど水が溜まっていた。

 帰り道、近くの山々に白い靄が濃く、薄く掛かっていた。







 昔は夕立が夏の風物だったが、近年は延々と干天が続いたかと思うと、突然、空が破れたような雨が降る。気象全体が極端さを帯びているようである。それは何かの象意を思わせるものがある。
 人の世も大きく変わり、それを取り巻く自然も変わりつつある。

 そんなことを考えながらも、久々の雨が嬉しい一日だった。



慈意妙大雲    慈悲の念 雲となって
樹甘露法雨    甘露の法雨をそそぐ

                  「観音経」