星野宣之の宇宙

 


 京都で浪人生活を始めたのは、ちょうどコンビニエンスストアができ始めた頃だった。暗い顔をしてマンガを立ち読みしていたことを思い出す。
 最近のコンビニに置いてあるマンガは最新刊ばかりだが、昔は「ゴルゴ13」が全巻置いてあったりしてなかなか愉しかった。

 結婚して1年になるが、もし子供ができたらいいマンガを読ませたい。
 男の子が生まれたら「北斗の拳」とか「拳児」を読ませて中国拳法を習わせようと考えている(笑)中学生になったら「飢狼伝」と「子連れ狼」も…

 ただ困ったことに先にマンガを読むことを覚えてしまうと、普通の読書がおっくうになってしまうことである。マンガは読むが活字は読まないというのは困る。良い本との出会いは人生に指針を与えてくれるものである。
 中学生の甥が家に来るとウチをマンガの図書館かなにかのように思っているらしく、寝そべってマンガばかり読んでいる。妹の子供ながら将来が心配だし、子供に悪影響を与えている悪い叔父としてなぜか私まで怒られている…

 先日、星野宣之氏の「ヤマトの火」(メディアファクトリー)を買った。
 星野氏は好きな漫画家である。
 星野氏の描く人間には清潔感を感じるのだ。

 清潔感といってもイマドキのように、お客さんが来るのでファブリーズして除菌しましょうというような清潔感ではない。

 芯のしっかりした人間がいて、その芯の強さで外側に余計なものを必要としないとでも言おうか。勇気とか情熱といったシンプルな感情が登場人物を支えている。そして作品の奥に人間を突き動かしている野生のようなものの存在も感じられる。

 現代の日本人を見ていると何かとても固い殻のようなものに覆われていると感じる。
 受け入れる心の弱さ、あるいは本当に受け入れてもらった経験が不足しているのか…そして硬い殻の中は芯がなくて、なにかブヨブヨしたものが詰まっているだけという印象を受ける。

 自分の欲望には敏感だが、他人の不快感や不利益には鈍感であるか、拒絶することしかしない。
 理屈を言ったり、他人を批判するのは得意だが、一旦、自分が否定されると、際限のない反撃にでたり、自己否定の世界に陥ったりする。一体、日本人はどうなってしまったのだろうかと思うことがある。本当に心配なことである。

 根本的な原因のひとつは自然を深く体感することがあまりに少ないということ、もうひとつは基本的な家族関係が上手く機能していないということではないかと思うのだが、やはりこの2つは本当に大切なものだと痛感する。


 星野氏の作品は「2001夜物語」を頂点とするSF系の作品しか読んだことがなかったのだが、古代史を題材にした本作をはじめて読んで、やはりセンスオブワンダーというような骨太さは共通していると改めて感じた。

 作品は異なっても作者の同じ声、同じ叫びが聞こえることがある。それはマンガでも読書でも読者の冥利に尽きる体験である。

 本作は「ヤマタイカ」シリーズのプロローグに当たる作品で未完であるが、後書きで星野氏が書かれているように古代史というものを作品にするのは本当に難しいのだと思う。一見、自由でいてとても制約が多いのである。

 最初に星野氏の作品を読むとしたら古き良きSFスピリットのぎっしり詰まった「2001夜物語」だろうか。
 宇宙を疾駆する人間の物語は夏の夜に読むのにはまことに相応しい。