命を育むお盆


【お知らせ】

昨日山寺のHP更新致しました。
宜しければ御笑覧下さいませ
http://ujimaccya69.hp.infoseek.co.jp/


今日は棚経の初日。
午前中に4軒だけなので余裕のはずだったが…

お寺を出る直前に一軒目の家から電話があり、今朝、愛犬が死んだのでお経を頂きたいとのこと。
家に着くと、小さな土間一杯に大きなラブラドールレトリバーが横たわっていた。
賢い、大人しい犬だったが長年可愛がってもらって本望だったに違いない。穏やかな顔をしていた。

お仏壇を拝んだ後、略式でお弔いのお経を読んだ。



お盆は仏教の行事であると思われているが、神道をはじめとするいろんな習俗が混交しているようである。8世紀には既に夏に祖霊を供養する習慣ができていたそうである。

お盆にしかご先祖が帰ってこないのならお仏壇を拝む必要はないなどと乱暴なことを言う人もいるが、お盆や彼岸といった季節に変わり目に人々が揃って祖先に心を向けることは意味の無いことではないと思う。普段では生まれない祖先との交流が生まれると思う。

お盆の供養は祖先だけでなく、僧侶や無縁の仏まで多岐にわたる。
有縁無縁の様々な対象を供養することは功徳を積むことは言うまでも無い。

子供の頃はお盆には生き物を殺してはいけないと言われて虫かごの昆虫を放した経験がある。お盆という言葉の由来はお供えを載せる容器からだそうだが、生き物の命を大切にすることも大切な供養である。


そのことを敷衍するなら食べ物を粗末にしない、食べ物を残さない、感謝して食するといったことも供養と無縁ではないだろう。

今日、人間の命がひどく軽んじられている。
祖先を大切に供養することも、ペットを大切に飼うことも、生き物をみだりに殺さないことも、食事という命の糧を大切にすることも、命を大切にするという観点からは大きくつながっていると思う。

愛犬に弔いのお経を上げたあと、「犬でも人間に生まれ変わりますか」と飼い主のお年寄りが尋ねられた。その聞き方に愛犬に対する思いがこもっていてなんとはなしに嬉しくなった。飼い主に大切にされて天寿を全うできたペットは幸せだと思わずにいられなかった。