お施餓鬼

 
 
 お寺との付き合いで大切なことはお寺の年中行事に実際に行事に参加してみることだと思っている。
 自分の菩提寺で行事があったら是非、気軽に参加してみて頂きたい。何か発見があるのではないだろうか。

 
 本日から施餓鬼の日である。

 午前は市街にある大きなお寺の施餓鬼に住職と出かける。
 お坊さんは総勢7人。専属の御詠歌隊も唱和する大変に立派なものである。

 施餓鬼は「餓鬼に施す」と書くが、亡者の供養だけではなく、三宝(仏・法・僧)の供養であり、先祖供養などいろんな意味を持っている。浄土真宗を除く仏教の各派で行われている大切な行事である。私は施餓鬼はとても大切な行事だと思っているし、将来はこの施餓鬼という行事をもっと広めたいとも思っている。

 お寺の後背地は山になっているが市内は今日も熱暑である。
 本堂の暑さと昨日までの棚経の疲れで時々頭がぼんやりする。
 御住職が朗々と塔婆を読み上げると、参詣者と一緒に光明真言を唱える。

「オン アボキャ  ベイロシャノウ  マニ  ハンドマ  ジンバラ
ハラバリタヤ  ウン」

 毎年、このお寺のお施餓鬼によんで頂くが、昨年は時々涼しい風が吹いてきて有難いと思っていたら、反対の席に座っていた住職が「後ろに控えていた御詠歌隊の女性が扇子であおいで風を送って下さっていた」と教えてくれた。もったいない話である。

   
  午後は兼務している山寺の施餓鬼。

 住職と2人だけで執り行う。参詣者も僅かだが、皆お互いが旧知の仲なので和気藹々とした感じに溢れている。

 日差しは相変わらず強いが山の上なのでさらりとした風が吹き抜けて気持ちが良い。
 市内から御参りに見えた方が風が全然違うと驚いておられた。
 読み上げる塔婆の数も僅かなものだが、やはり大きな施餓鬼とは違う別の味わいがある。

 明日も自坊(自分のお寺)と法類寺院(付き合いの深いお寺)合わせて三か寺の施餓鬼がある。

 仏教はインドで生まれ中国を経て日本に伝わった。
 そして日本固有の習俗や儒教などとも緩やかに混交していった。従って施餓鬼という行事の中にはインド、中国、を始め日本の神道儒教民間信仰など様々な要素が入り混じっている。
 これらをもう一度考えてみることはとても大切なものだと思っている。
 もちろんお盆の忙しい時期を過ぎてからの話である…

      
           炎天に  蛇の眼涼し  施餓鬼棚